特別名勝「栗林公園」のすべてを大公開!
栗林公園とは
400年の歴史を誇る特別名勝栗林公園は松がとても美しい庭園。
栗林公園は、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで「わざわざ旅行する価値がある」を意味する3つ星として紹介された。
栗林公園の松と掬月亭(きくげつてい)は2つ星、偃月橋(えんげつきょう)と飛来峰(ひらいほう)は1つ星。
また、アメリカの日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が毎年日本庭園のランキングを発表しているが常に上位だ。
しかし名称に「栗」がついているのに松?と思われるかもしれないけど、所説ありで名前の由来は定かではない。
実は栗林公園内の栗の木は10本ほどしかない・・・
松は1,400本あり、そのうち約1,000本が職人によって手入れをされている。
300年の伝統手法の手入れにより、栗林公園の松は本当に美しい。
もちろん栗林公園の魅力は松だけではない。
庭園美、日本一の広さ、見どころが多くて本当に素晴らしい。
「特別名勝」とは、名勝の中でも学術的価値の高いものを指し、「国宝」とほぼ同じ意味合いのものである。
日本三名園との比較について
日本三名園である、「兼六園」(石川県金沢市)、「後楽園」(岡山県岡山市)、「偕楽園」(茨城県水戸市)より美しいとの評価だけど、この表現は私はあまり好きではない。
比較するものではなく、どの庭園も美しい唯一無二の庭園であると思う。
ちなみに私は三名園や『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』上位の庭園を巡っているので、本当にそう思う。
来場者が年々減少しているとのことだけど、この紹介の仕方を抹消しないといけないんじゃないかなと。
また、マンションが写り込み残念だ、ともささやかれる。
松平賴重さんは、高松市仏生山町「法然」寺を松平家のお墓としたけど、誰でも法然寺にお墓を作ってよかった。
街と共存してこその栗林公園、賴重さんの意思だと思っている。
少し批判的なことを書いたけど、松平賴重さん、そして栗林公園のスタッフさんは本当にいい人たち。
訪れると毎回親切だし、気持ちいい。
私が栗林公園を愛している理由のひとつ(^^♪
近隣のマンションに住んでいる方、三名園をそれぞれ愛している方をないがしろにして日本一はないだろうと。
生駒家から松平家へ
栗林公園の始まりは16世紀後半、当地の豪族佐藤氏によって、小普陀(しょうふだ)付近に築庭されたことによる。
後に生駒家により南湖一帯が造園された。
生駒家が改易になり、「松平賴重(まつだいらよりしげ)」さんが初代高松藩主となった。
栗林公園の整備は代々松平家が行ってきた。
生駒親正さん夫妻のお墓は高松市錦町の弘憲寺にある。
県指定史跡「生駒親正夫妻墓所」
生駒親正は大永6年(1526)に美濃国(岐阜県)で生まれ、織田信長・豊臣秀吉に仕えた。賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)等で活躍し、天正15年(1587)に秀吉から讃岐一国が与えられ、翌16年(1588)に高松城を築城した。秀吉の晩年には三中老の一人として、秀吉政権下で重要な役割を担っていた。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いでは、西軍(毛利元就総大将)につき、丹後田辺城攻めを家臣に命じたが、子の一正は東軍(徳川家康)についた。これにより、親正は剃髪し高野山に入ることになるが、一正に改めて讃岐一国が与えられた。その後親正は高松に帰り、慶長8年(1603)に亡くなった。
向かって右が親正の墓で、高さ約3.2メートル、左が婦人の高木氏の墓で、高さ約3メートルを測る。
いずれも凝灰岩五輪塔である。
親正公 海依弘憲大禅定門
慶長8年2月13日卒 78歳
奥方 高木氏 花渓宗鮮大禅定尼
慶長14年11月3日卒
高松市教育委員会
親正さんがつくった岩清水山の木の伐採を禁じるというルールがあった。
そのルールを破ったことが発端で起こるお家騒動「生駒騒動」により改易されることになる。
そして松平家に代わり、栗林公園は庭園として発展していく。
賴重さんは水戸黄門でおなじみ水戸光圀さんのお兄さん。
徳川家康さんのお孫さんにあたる。
さて、以下見どころを大ボリュームでお伝えしていこう。
栗林公園のすべての見どころについて
今回のメインの取材は秋に行い、過去写真や過去記事、参考記事を使用している。
松の美しい時期は夏なので、随時更新、写真の差し替えをしていきたい。
記事内の写真は画質を落としているので、画像をクリック、タップしていただくと高画質で見ることができる。
随分なボリュームとなってしまっているけど、目次の項目をクリック、タップすると該当箇所まで飛ぶ。
PC表示の場合記事右下の「↑ボタン」、スマホ表示の場合最下部の「↑TOPボタン」を押せば記事最上段まで戻る。
スクロールが面倒な方にお知らせしておきたい。
随時追記、リライトをしているので、まとまりがなくなりつつある(笑)
以下にすべてをまとめていきたいと考えている。
入り口
東門
メインの入り口。
初めての方は無料のボランティアガイドさんとまわるといいよ。
所要時間を伝えればうまくまとめてくれる。
北門(嶰ノ口御門)(きたもん・かいのくちごもん)
裏門にあたる。
ここから入っても問題ないんだけど、ボランティアガイドさんは東門に待機しているのでご注意を。
藩政時代はこの門を正門としていた。この門から入った両側には竹林が拡がっていたことから、中国の竹林の名所”かいのくち”という地名に因んで命名されたもの。
現在の北門の袖垣石は、大阪城築城の際に使用したものと同じ石で由緒あるもの。大正2(1913)年、北門とともに改修工事を行った際、小豆島町福田の海岸にあったものを袖垣石として使用している。
現在は東門が正門なので、北門は裏門的な扱い。
北門から出るとすぐにカフェがあるよ。
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン2つ星評価の「松」
栗林公園の松はミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで2つ星の評価で、特に鶴亀松(つるかめまつ)、箱松(はこまつ)、根上り五葉松(ねあがりごようまつ)は三大松と言われている。
鶴亀松(つるかめまつ)
松平家の家老稲田さんが松の手入れに夢中で、お城に行くのに遅刻したため給料百石減らされたことから、別名「百石松」という。
110個の石を組み合わせた亀を形どった岩組の背中に鶴が舞う姿をした黒松を配したものであり、園内で最も美しい姿をした松である。
確かに美しい。
土台の石組みは、周囲をグルっとまわると亀を形どっていることが良くわかる。
写真では表現できないんだけど・・・
箱松(はこまつ)
竹の垣根「四つ目垣(よつめがき)」もいいね。
箱松という名の通り、箱のかたちを装った松。長い年月の手入れのたまもので、樹芸の粋を極めた箱松は、ほかに見られない本園ならではの景観をつくっている。
裏側から見ると枝ぶりがすごく素敵。
絡み合うように屈折して伸びたその見事な枝振りは、まさに圧巻。
300年以上の手入れの結晶、確かに箱松、屏風松はほんとに素晴らしいと思う。
表から見れば箱型。
裏から見れば屏風。
何て素晴らしいんだろ。
根上り五葉松(ねあがりごようまつ)
天保4(1833)年、徳川11代将軍家斉公より松平9代藩主頼恕(よりひろ)公が参勤交代の時拝領した盆栽を地に下ろしたものが成長したといわれる。
この根上り五葉松(ねあがりごようまつ)は赤松の上に接木している。
園内に五葉松はこの1本だけ。
お手植松(おてうえのまつ)
5本あって、左から
①秩父宮殿下(大正3年)
②高松宮殿下(大正3年)
③エドワード・アルバート王太子殿下(大正11年)
④良子女王殿下(大正12年)
⑤北白川大妃殿下(大正14年)
が植樹された。
そのまた右に昭和天皇のお手植松跡の表札がある。
写真に写っている大きな松は上記⑤北白川大妃殿下(大正14年)のお手植松。
昭和天皇のお手植松は落雷でなくなった。
非常に残念・・・
上の5本より少し離れた、掬月亭(きくげつてい)の南側にある。
大正天皇(当時皇太子殿下)が明治36(1903)年に行啓された時にお手植えされた松である。その時4日間、この掬月亭(きくげつてい)で滞在なされた。
北庭の5本の松と合わせ、園内には6本のお手植え松がある。
流枝の松(なげしのまつ)
天女嶋(てんにょとう)をバックに、北湖(ほっこ)に枝を出している松は流枝の松(なげしのまつ)という。
夫婦松(めおとまつ)
ガイドマップには掲載されていない松。
この松は、赤松(別名:雌松)の幹の下部から、黒松(別名:雄松)の枝が張り出している。赤松と黒松が組となり1本の松に見える姿から、夫婦松(めおとまつ)の愛称で呼ばれている。
以上代表的な松なんだけど、栗林公園の松は非常に美しく、以下の写真からも美しい松を見ることができるよ。
橋
偃月橋(えんげつきょう)
園内で名のある14橋のうちの一つで最も大きい橋であり、その名は弓張り月が湖面に影を映す姿に似ていることからこの名があり、反りをもった美しい大円橋である。
平成13年に架け替えられたこの偃月橋(えんげつきょう)は、宝くじの普及宣伝事業として整備されたものである。
脚の部分には水に強い栗の木、他の部分には檜(ひのき)が使われている。
栗の木が使われている?ひょっとし栗林公園の名前の由来に関係あるのでは!?
定番の景色。
常盤橋(ときわばし)
栗林公園の東門、メインの入り口にかかっている橋。
江戸時代には高松城の大手門の周りに張り巡らされたお堀に架けられていたのだけど、その一部が明治時代の末期にこの場所に移された。
梅林橋(ばいりんきょう)
別名「赤橋」と呼ばれ緑一色の湖景に一点朱色が鮮やかに映え、付近庭景に対する見事な引き締め役となっている。
後にでてくるけど芙蓉峰(ふようほう)から眺めた北湖(ほっこ)、梅林橋(ばいりんきょう)はすごく素敵。
紅一点の梅林橋(ばいりんきょう)。
紅葉していて実は紅一点になっていないという・・・
屏風松(びょうぶまつ)・箱松(はこまつ)も映えるね。
▲西湖(せいこ)と北湖(ほっこ)を結ぶ川。
川に落ちないように・・・
ここも紅葉リフレクションが美しい。
南湖(なんこ)と北湖(ほっこ)を結ぶ川を玉澗(ぎょっかん)というんだけど、ひょっとして西湖(せいこ)と北湖(ほっこ)結ぶこの川にもそのような名前がつけられているのかも。
調査中だ。
ちなみにこの川の撮影ポイントにはニンジンボクさんがあるよ。
夏には花を咲かせる。
松平5代藩主頼恭公の時代に平賀源内、池田玄丈らが活躍した薬園のなごりとして残っているニンジンボクは、クマツヅラ科の薬草。
その果実を煎じて服用すると風邪や暑気による吐き気に効くといわれる。
迎春橋(げいしゅんきょう)
写真に写っている和船(わせん)はこの迎春橋をくぐって和船乗場(わせんのりば)を出入りする。
この橋は迎春橋という。この橋を渡ると江戸時代には”留春閣”という建物が西にあり、この橋の周りには桜の木々が多く植えられていた。
石梁(せきりょう)
▲この橋の写真左は睡蓮、右は蓮が咲く。
午前中に咲き、午後には花を閉じるので注意。
ここにはウシガエルがたくさんいる。
▼芙蓉沼(ふようしょう)の蓮
揚橋(あげはし)
園内で名のある14橋の一つである。かつて和船(わせん)で北湖(ほっこ)と南湖(なんこ)を往来する時には、橋の敷板を揚げて船を通したことから名付けられた橋名といわれている。現在は、規模も大きくなり敷板を揚げることはできない。
写真右側が北湖(ほっこ)、左側が南湖(なんこ)へ通じている。
和船(わせん)は左側から迎春橋(げいしゅんきょう)をくぐって南湖(なんこ)に出る。
永代橋(えいだいばし)
栗林公園の橋は「きょう」と読んでいるのだけど、ここだけ「はし」。
この橋の写真左が群鴨池(ぐんおうち)、右が芙蓉沼(ふようしょう)。
▼芙蓉沼(ふようしょう)に咲く蓮(7月撮影)
茶室
掬月亭(きくげつてい)
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで2つ星の評価。
一流料亭「二蝶」さんが運営されている。
あれ、掬月亭の垣根は四つ目垣(よつめがき)ではないんだね。
竹垣について調査中。
江戸初期の頃(1640年頃)に建てられた回遊式大名庭園の中心的建物であり、歴代藩主が大茶屋と呼び最も愛用した建物である。1745年に、松平5代藩主頼恭公が、中国の詩人于良史(うりょうし)の詩の一句「水を掬すれば月手にあり」からとって、掬月亭(きくげつてい)と命名したものである。
于良史(うりょうし)の詩は「春山夜月」という。
掬月亭(きくげつてい)に入るためには、お抹茶(菓子付)700円購入が条件。
※和船に乗ったり、日暮亭(ひぐらしてい)で食事をすると200円引きになる。
お菓子の説明書きが添えられていた。
献上栗のお話
江戸時代、幕府は全国260余の大名から各藩の名物を定期的に献上する”時献上”を定めていました。讃岐の国高松藩松平家は将軍家に栗林荘でとれた栗を献上していました。栗を献上していた大名は高松藩を含む全国で12大名であったといいます。
このような先人の残した伝統を守る心をそのままにおとどけしたいという思いをこめて讃岐特産和三盆を使用し誰にも親しまれるお菓子として作りあげました。
香川県高松市
御菓子司「陣屋」
陣屋さんのお菓子だったんだね。
この抹茶を700円でいただくことにより、混雑時でも掬月亭(きくげつてい)ではゆったり。
写真撮り放題。
栗林公園は、紅葉ライトアップ時でも三脚は使用可能なんだけど、いいスポットは狭い通路ばかりで物理的に三脚使用が難しい。
掬月亭(きくげつてい)からの撮影であれば、シートを敷けば三脚使用可能で、人が少ないため落ち着いて撮影することができる。
写真のとおり、ライトアップのイベントで大混雑しているのにもかかわらず掬月亭(きくげつてい)は人がいない。
700円なんだけど、みなさん財布の紐が固い。
という私も今までそうだったんだけど・・・
最近ウエディングフォトグラファーという職種がにわかに注目されているね。
江戸時代には現在より2つ多く建物があり、上から見ると北斗七星に似ていることから「星斗館(せいとかん)」ともいわれていた。
左側に見える大きな松は先に載せた大正天皇お手植え松(たいしょうてんのうおてうえのまつ)。
掬月亭(きくげつてい)の庭もすごく魅力的なので、じっくり鑑賞されることをおすすめする。
日暮亭(ひぐらしてい)
こちらも香川県の一流料亭、二蝶さんが運営されている茶室。
かって江戸時代に「日暮亭」と称する茶屋があり、その後撤去された跡地に、明治31(1898)年、石州流の茶室として再建されたものである。
平成11(1999)年、保存修理、腰掛待合及び露地の再整備等一連の復元整備工事により、往時の姿を取り戻した草庵の茶室である。
ここの紅葉も素晴らしい。
ぜんざいが私を呼んでいる。
座していただく。
一度は二蝶さんに行ってみたい。
ちなみにぜんざい500円を食べると掬月亭(きくげつてい)のお茶700円が200円引きに。
200円引きになるお抹茶券はその日限り有効。
マンリョウは秋になると、園内にいたるところで実をつけている。
香川県の雑煮は白味噌に餡餅(あんもち)なんだよ。
和辛子が添えてあって、ピリッと。
香川県に来た時、ちょっとゾッとしたけど食べると病みつきになること間違いなし。
旧日暮亭(きゅうひぐらしてい)
松平2代藩主頼常の頃、南庭の東南隅に「考槃亭(こうはんてい)」という官休庵流の茶亭があったが、その後、会僊巖(かいせんがん)の東方に移築、「日暮亭」と改称され、さらには園外の私人へ移るなど、この建物は、さまざまな変遷を経てきた。
昭和20(1945)年、関係者の尽力により、再び園内に「新日暮亭(しんひぐらしてい)」として甦った由緒ある茶室であるが、歴史的経緯を踏まえ、現在は「旧日暮亭」と呼ばれている。
この説明書きより古いものがあった。
旧日暮亭戒名の趣旨の趣旨
本亭は、高松藩第2代藩主・松平頼常公の時代(1673年~1704年)、南庭の東南隅に「考槃亭(こうはんてい)」と呼ばれる茶室があったものを、5代藩主頼恭公(1739年~1771年)の頃に、会僊巖(かいせんがん)の東方に移して日暮亭(ひぐらしてい)と読んだ建物です。その後、明治はじめに園外(高松市内の民間人)へ払い下げられましたが、昭和20(1945)年、有志のご尽力により、この場所に移築され現在に至っています。
名称については、昭和20年の再移築の際、既に園内に現在の「日暮亭「(ひぐらしてい)」が存在していたため、これと区別するために財産台帳上「新日暮亭(しんひぐらしてい)」と称するようになりました。
この度、一般公開3周年記念行事の開催にあたり、本茶室の名称を、歴史的経緯に照らし本来の姿をより正確に表するようにするため、「旧日暮亭(きゅうひぐらしてい)」と改めることにいたしました。
旧日暮亭(きゅうひぐらしてい)は床面積25平米ほどの小さな建物ですが、三千家のひとつ武者小路千家草創期の造りとも言われ、伝統的な大名茶室を今に伝える全国的にも数少ない貴重な茶室です。江戸時代の文化の香りを多くの皆様に感じ取っていただければ幸いです。
平成23年10月2日栗林公園観光事務所長
なるほど。
栗林公園を改めて見直した。
まだまだ調べることはいっぱいありそうだね。
「南庭の東南隅」とは「吹上(ふきあげ)」のあたり。
土間のある茶室は珍しく、土間は家来が将棋をするための場所。
高松藩初代藩主、松平賴重さんは千利休さんのひ孫「一翁宋守(いちおうそうしゅ)」さんを召し抱え、茶道を指南させた。
一翁宋守さんは、引退後、京都で官休庵という茶室を建て、武者小路千家を開いた。
高松松平家の茶頭という官職を辞して開いたので、官休庵なんだって。
調べたら、京都御所の近くにある。
▼行ってきたよ(^^♪
戞玉亭跡(かつぎょくてい)の降蹲踞(おりつくばい)
旧日暮亭(きゅうひぐらしてい)の横にある。
この水流の北に沿って、茶亭(戞玉亭跡(かつぎょくてい))があったが、松平5代藩主頼恭公のころ、扇屋原(講武榭(こうぶしゃ))に移築された。この茶庭に使われた「降蹲踞(おりつくばい)」がその後も残り、現在もおの水流の中にある。これは茶道上、また本園の歴史の上より貴重なものである。
また、蹲踞(つくばい)の手前にある円形の井筒内の水は、上の池(涵翠池(かんすいち))から送水され、水が沸き上がるように仕掛けられている。
フジの花びらと共に。
築山
小普陀(しょうふだ)
栗林公園が始まった場所。
見事な石組が施されている小高い築山”小普陀(しょうふだ)”。室町時代の手法を取り入れたこの石の据え方は、本園の築庭においても古く、小普陀(しょうふだ)の名は”中国観音の座”ともいうべき霊場の中国の普陀山(ふださん)にならって名付けられた由緒深い場所である。
楓岸(ふうがん)
南湖(なんこ)に面した築山。
この辺りの築山を”楓岸(ふうがん)”という。一面に広がる苔や、その名のごとく楓の姿など、変化に富んだ光景を鑑賞できる。とりわけ優美に枝を張っている楓は、四季折々にその装いを変え、楽しませてくれている。
確かに季節ごとに歩くとイメージが違う。
竹の垣根を四つ目垣(よつめがき)という。
園内全部合わせると2000mもある。
▲右に見える2つの石は、後述するけど木の化石、「珪化木(けいかぼく)」という。
対岸から見た楓岸(ふうがん)は紅葉のライトアップでもおなじみ。
楓岸(ふうがん)にはサンシュユが咲くよ。
巾子峰(きんしほう)
楓岸(ふうがん)から吹上亭(ふきあげてい)に向かうとある築山。
渚山(しょざん)
渚山(しょざん)からの眺めもすごく素敵。
小松亭(こまつてい)隣の階段から行くことができる。
一三大三坡(じゅうさんだいさんぱ)のひとつ、渚山(しょざん)には美しい松が植えられており、汀線は優美な曲線を描いて伸びている。ここから南湖を望むと、右には掬月亭(きくげつてい)、左は飛来峰(ひらいほう)と偃月橋(えんげつきょう)ほか、多彩な南庭の見どころを一望できる景勝地となっている。
小さい松だけど、丁寧に手入れされている。
玉敷の汀線美を北湖(ほっこ)でも見たけど、これも確かに栗林公園の魅力の一つ。
飛来峰(ひらいほう)
ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで1つ星の評価。
飛来峰(ひらいほう)から眺める南湖(なんこ)を中心とした奥行きのある景観は、本園を代表する絶景の一つ。藩主が江戸を懐かしみ、富士を模して造らせたと伝えられる築山で、”飛来峰(ひらいほう)”という名称は、中国杭州にある名勝地から得た命名といわれている。
確かに富士山の形。
芙蓉峰(ふようほう)
梅林橋(ばいりんきょう)あたりから見ると富士山の形をしているので、富士の別名である”芙蓉”の名がついたとされている。芙蓉峰から望む北湖(ほっこ)は、紫雲山(しうんざん)を背景として、右に前嶼(ぜんしょ)、後嶼(こうしょ)があり、中央の紅一点である梅林橋が、緑一色の景観を引き締める。また右には箱松(はこまつ)、屏風松(びょうぶまつ)が重なるように見え、景観をさらに厚く演出している。
ちなみに、半円形の垣根を「ななこ垣(ななこがき)」という。
ななこ垣は毎年新しくしてお正月を迎える。
「ななこ」の漢字は「魚子」で、魚卵のように連なっている様からそう呼ばれている。
ななこ垣を意識して見ると面白いね。
園内いたるところで見られるよ。
会僊巖(かいせんがん)
日暮亭(ひぐらしてい)出入り口の前にある。
西湖(せいこ)に望む築山”会僊巖”(かいせいがん)の豪快な石組みは、かつてはさらに巨大で、神仙会するごときものであったことが古図からうかがえる。現在はその石の一部が園外へ出るなどしているが、ここからは、対岸の石壁(せきへき)や爛柯石屋(らんかせきおく)などを眺めることのできる景勝地である。
飛猿巌(ひえんがん)
荒々しさが印象的な飛猿巌(ひえんがん)の石組。本園の中で最も大きな石組みで、このような大きな石組みを高く積み上げたような組み方は、江戸時代に発達した築城の手法を取入れたものといわれている。
池と島
潺嵈池(せんかんち)
紫雲山麓の清水が潺嵈と流れるさまを意味して名付けられた潺嵈池(せんかんち)。明治末期の改修で狭くなったが、小石にあたる水流で水面の輝きが感じられる。池泉で本園の六大水局のひとつとなっている。
六大水局とは「南湖(なんこ)」、「北湖(ほっこ)」、「西湖(せいこ)」、「涵翠池(かんすいち)」、「潺嵈池(せんかんち)」、「芙蓉沼(ふようしょう)」のことである。
ここも紅葉ライトアップでにぎわう場所。
南湖(なんこ)
南湖は和船(わせん)で遊覧することができる。
和船(わせん)は以下3つの島、「楓嶼(ふうしょ)」、「天女嶋(てんにょとう)」、「杜鵑嶼(とけんしょ)」、「偃月橋(えんげつきょう)」と4つの岩を組み合わせた石組みの「仙磯(せんぎ)」を遊覧する。
3つの島には不老不死の薬があり、「仙磯(せんぎ)」には仙人が住んでいるという言い伝えを表したもの。
楓嶼(ふうしょ)
「嶼」は「しま」と読み、小さな島の意。
「嶼」は栗林公園ではよく使われる漢字。
天女嶋(てんにょとう)
▲和船に乗って撮影。こちらが正面。
他の島と違って、五重塔や階段もあって楽しい島だね。
船頭さんがおっしゃっていたんだけど、外国の方がよくこの天女嶋(てんにょとう)に上陸させて欲しいとリクエストされるとのことだ。
ここでカワセミさんを撮影することができた。
動き回ってなかなか撮影できないカワセミさんを撮ることができてうれしい。
杜鵑嶼(とけんしょ)と恋ツツジ
▼5月末撮影の恋ツツジ
杜鵑嶼(とけんしょ)にあるハート(猪の目)のツツジ。
目の前の島、杜鵑嶼(とけんしょ)にあるハートの形をしたツツジは剪定作業で偶然できたものである。カップルや結婚式の前写しの背景などとして、人気の撮影スポットとなっている。
5月~6月にサツキツツジが咲いて奇麗。
ハート型の「恋ツツジ」で有名。
杜鵑(とけん)とはつつじのこと。
ハート型はそもそも「猪の目」という日本古来のデザイン。
魔除けになる。
仙磯(せんぎ)
中国伝説の蓬莱島をイメージしている。
▼飛来峰(ひらいほう)からも仙磯(せんぎ)が見えた。偃月協(えんげつきょう)の向こう側、南湖に浮かぶ3つの小さい岩。
▼鯉、和船(わせん)とのコラボもいいね。
仙磯(せんぎ)は1年で2回くらい光る。
太陽の通り道の関係で、時間が合えば、飛来峰(ひらいほう)から光って見える。
ぜひ見てみたいね。
北湖(ほっこ)
向こう岸に見える小高い築山は芙蓉峰(ふようほう)。
南庭では南湖に次ぐ大池泉であり、特に白い玉敷きの汀線の美しさを青い水面にくっきり見せている。
北湖には前嶼(ぜんしょ)、後嶼(こうしょ)の二島、その奥に富士を縮景した芙蓉峰(ふようほう)を築き、手前には紅一点として梅林橋(ばいりんきょう)を架けるなど景勝地の一つとなっている。
「汀線」とは「ていせん」、「なぎさせん」と読む。
水面と陸地の線のこと。
島の縁取りが美しいね。
芙蓉峰(ふようほう)も富士山を見立ててつくられた。
▼真ん中の小高い築山が芙蓉峰(ふようほう)、写真左の島は前嶼(ぜんしょ)。
右側に後嶼(こうしょ)があるんだけど、松で隠れている。
北湖(ほっこ)周辺もとても松が美しい。
私は松に興味はなかったんだけど、栗林公園の松を見てからは好きになったよ。
西湖(せいこ)
桜が咲くといいね。
西湖(せいこ)はムクロジさんがいる。
松平5代藩主頼恭公の時代に平賀源内、池田玄丈らが活躍した薬園が園内に設けられた時代に園内に持ち込まれた樹木のムクロジ。
ムクロジはムクロジ科の落葉高木で、果実の外皮から洗剤がとれる。中にある硬くて黒い種子は、数珠や羽根つきの黒い玉の部分に使われていた。
涵翠池(かんすいち)と瑤島(ようとう)
掬月亭(きくげつてい)西の池。涵翠池(かんすいち)は、翠(みどり)を涵(ひた)すという意で、石組の素晴らしい中島の揺島(ようとう)の木々だけでなく、背景となっている紫雲山(しうんざん)の自然を含めた意図で命名したものである。
スイレンの向こう側の島は瑤島(ようとう)という。
この島の石組みには奇岩解析(きがんかいせき)がたくさん使われていて江戸時代中期の庭造りの特徴を今に伝えている。
素晴らしい石組みだ。
夜のリフレクションも美しい。
ここにはスッポンがいるよ。
芙蓉沼(ふようしょう)
蓮がいっぱい咲く時期に来たい。
”芙蓉”とは蓮の別称(古名)であり、この池は”蓮池”とも呼ばれている。6月ごろから池一面にハスが茂り、夏には大型の淡い紅色や白色の花が咲き、訪れる人の目を楽しませてくれる。
群鴨池(ぐんおうち)
鴨さんがいっぱい穏やかに泳いでいる。
園内最大の池で、江戸時代には鴨猟に用いられていた。明治末期の改修の時に、春島、夏島、秋島、冬島が造られ、毘沙門天祠(びしゃもんてんし)がある多聞島(たもんとう)と合わせ5つの島がある。
この5つの島はガイドマップに掲載されていない。
スタンプラリーをするともらえるガイドブックには掲載されていた。
北梅林(ほくばいりん)側から見ると島を見やすい。
▲右にちょっとだけ見えているのが夏島。
春島は見にくい場所にあり、すべてを見渡せない。
春島を探していたら鴨さんに近付くことができた。
▼春島(はるしま)は大覗き(おおのぞき)から見ることができる。
大覗き(おおのぞき)は春島(はるしま)の西側の細い通路から行くことができる。
▼春島(はるしま)の東側にも大覗き(おおのぞき)のようなものがあるんだけど、これは叩込(たたきこみ)。
いろいろ調べたんだけど、多聞島(たもんとう)の西側にある橋から見るしかないようだね。
群鴨池(ぐんおうち)には7月にガガブタが咲くよ。
多聞島から撮影。
毘沙門天祠(びしゃもんてんし)は群鴨池(ぐんおうち)に浮かぶ多聞島(たもんとう)にある。
毘沙門天は多聞天と呼ばれ、四天王の一つであり、北方を守る神だといわれている。この毘沙門天祠(びしゃもんてんし)のある群鴨池(ぐんおうち)の多聞島(たもんとう)は本園では北東部に位置することから藩政時代よりここに祀られている。
梅林
北梅林(ほくばいりん)
本園には約170本の梅の木があるが、特に見どころは北梅林(ほくばいりん)と南梅林(なんばいりん)。1月の下旬から3月上旬にかけ紅白色とりどりに咲き誇る梅の花は、香りとともにいち早く水温む春の到来を告げてくれる。
梅の咲くころ素敵な林になる。
香川県の梅の開花標本木がここにある。
百花園跡(ひゃっかえんあと)
松平5代藩主頼恭公は、花木が咲き誇る百花園に加え、ここに薬園を営んだ。各地から薬草を取り寄せ、その栽培管理には平賀源内も起用。現在は梅林と茶園になっている。
梅が群生していて美しい。
百花園跡(ひゃっかえんあと)には柵があって中には入れないので、梅の実は拾えない・・・
収穫された実は、公園東門横のかがわ物産館「栗林庵」で販売されたり、県内の酒造メーカーが梅酒や梅ワインに加工するんだよ。
(写真は1月撮影)
綾歌郡の「綾菊酒造」さんの梅酒、さぬき市の「さぬきワイナリー」さんのワインを販売している。
東門から入ってすぐのお土産屋さんで販売しているよ。
南梅林(なんばいりん)
百花園跡(ひゃっかえんあと)の道を挟んで反対側にある。
面積は小さい。
ここでは望遠レンズでメジロさんを撮りたいね。
▼2019年2月に撮ってきた。
花と緑
花しょうぶ園(はなしょうぶえん)
昭和45(1970)年、明治神宮の花しょうぶを譲り受けこの場所に造られた。6月の梅雨時期には奇麗な花を咲かせる。
平成15年には高松栗林ライオンズクラブから寄付を受け、250株が加わった。
根上り樫(ねあがりかし)
北湖(ほっこ)のそばにある。
向こう側に見えているのは北湖(ほっこ)で、島は前嶼(ぜんしょ)。
明治の末、この位置に幹が二股に分かれた老松があり、樫が老松の分かれ又の部分に生えていた。生長と共に樫の根は、老松の空洞化した幹の中を通り地中まで下ろしていたが、その後、老松が枯死したため、この値上り樫ができたものである。県の天然記念物に指定されている。
栗林公園のソテツ「鳳尾塢(ほうびう)」
薩摩藩主島津公より贈られた琉球産のソテツが植えられてある築山で、群植されたソテツの葉が鳳凰の羽に似ていることから鳳尾塢(ほうびう)の名がある。樹齢300年以上を経ており、香川県の天然記念物の指定されている。
確かに鳳凰のようだ。
サザンカ
冬になるとずっと咲いてくれる山茶花さん。
その他の植物
栗林公園は四季折々に何か咲いているので、上記で紹介できなかった花や木を紹介していこう。
▼楓のプロペラ(5月撮影)
▼今後季節ごとに咲く撮影予定の花。
【春に咲く花】
・ハナモクレン・ハナズオウ・キショウブ・センダン
【夏に咲く花】
・クチナシ・キョウチクトウ・ノカンゾウ・フヨウ・サネカズラ
【秋に咲く花】
・キンモクセイ・チャノキ
【冬に咲く花】
・ヤブツバキ
資料館
讃岐民芸館(さぬきみんげいかん)
館内には讃岐の民芸品がたくさん展示されている。
ここは次回、別の記事で紹介していこうと思う。
商工奨励館の前にはアンズが咲くよ。
商工奨励館(しょうこうしょうれいかん)
▲本館の両サイドに西館、東館、北館がある。
西館は「さぬきうどんの発展と歴史」の展示、「ガーデンカフェ栗林」というイタリアンレストランがある。
東館は「香川の伝統工芸品」の展示と実演、控室がある。
北館は、お殿様の別宅があった空間に、現代的なセンスをプラス。
飲食を伴うイベントやレセプション会場としても利用可能なホールに改装され、結婚披露宴やパーティなど多様な活用ができるようにしています。北側のガラス戸を解放すると、隣接する芝生広場と連結して、ガーデンパーティなども楽しめるようになっています。
北館ホール内には、香川を代表する書道家、現代美術家の方が栗林公園のために制作してくれた書や絵画も展示しています。
※栗林公園ホームページより抜粋
本館の2階にはジョージナカシマさんの家具を展示している。
一部の家具を休憩に利用することができる。
樹齢120年以上のヒマラヤスギ。
大禹謨(だいうぼ)
商工奨励館北館奥の中庭にある。
本園は1630年頃に香東川の改修工事でせき止められた廃川敷に造られた。この石碑は、改修工事を手掛けた西嶋八兵衛が、治水の成就を願い「大禹謨(だいうぼ)」と自ら書き川中に祀った(まつった)ものである。1912年に市内香川町で発見され、1962年に保全と顕彰のため本園に安置された。
流れ流れて香川町まで行っていたとは。
※栗林公園から最短の香東川のポイントと同じく高松市香川町の香東川最短まで約8kmある。
以下、スタンプラリーをしてもらえるガイドブックに詳細があったので掲載する。
現在の商工奨励館(しょうこうしょうれいかん)の中庭に「大禹謨(だいうぼ)」と書かれた石碑があります。この石碑は西嶋八兵衛が香東川の流れを上流で1本にするという大工事を行った時に、工事の無事な完成を祈って祈って「大禹謨(だいうぼ)」と自分が書いた石を祭ったものといわれています。
大禹謨(だいうぼ)とは中国の古代、「夏(か)」の時代に黄河のはんらんを治めた禹王(うおう)にちなんだもので、禹(う)は治水の神様と考えられていました。
西嶋八兵衛が香東川をせき止めたことによって生まれた豊富な地下水を利用して栗林公園が造られるようになったことを考えると、大禹謨(だいうぼ)の石碑は栗林公園にとって関係の深い、とても大切な石碑だといえます。
東屋でちょっと休憩
枕流亭(ちんりゅうてい)
潺嵈池(せんかんち)の裏側にある。
潺嵈池(せんかんち)の紅葉を見る時、表側だけでなく、裏側の枕流亭(ちんりゅうてい)からも見ることをおすすめする。
枕流亭(ちんりゅうてい)から下の芝生広場(しばふひろば)に向かう途中、ホルトノキがあるよ。
4月にはこのあたりにヤマブキが咲く。
ホルトノキは東かがわ市にある讃州井筒屋敷では香川県の指定保存木となっている。
平賀源内さんが「ポルトガルの木」と呼んだことから呼び名がなまって「ホルトノキ」になった。
紫明亭(しめいてい)
群鴨池(ぐんおうち)にある東屋。
香風亭(こうふうてい)
芙蓉沼(ふようしょう)を高い位置から見下ろすことができる。
▼香風亭から見た芙蓉沼の蓮(7月撮影)
瞰鴨閣(かんおうかく)
鴨を観察する建物。
池に張り出し群鴨池(ぐんおうち)が見渡せる瞰鴨閣(かんおうかく)。群鴨池(ぐんおうち)は鴨場であったことから、ここは冬に集まってくる鴨の様子をうかがう建物である。
紅葉している島は冬島(ふゆしま)。
美しい芝生
秋に撮影したので申し訳ないんだけど、栗林公園の芝生もとても美しい。
檜御殿跡(ひのきごてんあと)
松平初代藩主賴重公が30年余にわたって東讃岐(12万石)治めた後、隠退するにあたって、この地の周囲に土塀で囲み、広大で豪壮華麗な檜御殿を建てて、住まわれた。その後歴代藩主の別邸として使用された跡地で、明治4年ごろ、その建物は民間に払下げられ、往時の建物は残っていない。
檜御殿跡(ひのきごてんあと)の松も立派だ。
鹿鳴原(ろくめいげん)
芝生が青い時期に撮りに来よう。
しかし栗林公園の松はいつ見ても美しいね。
さすが3つ星。
芝生広場(しばふひろば)
暑い時はあの木の下で一休みすること涼しいよ。
夏に芝生が青々している時に撮影して差し替えよう。
分かりにくい場所なのだけど、芝生広場反対方向の堀に咲いていた。
講武榭(こうぶしゃ)
写真右の川にはメダカさんがいっぱい泳いでいる。
別名を扇屋原(おうぎやはら)という。
藩政時代に武を練った場所で扇屋原ともいう。もと矢場御殿、馬場御殿などがあり、馬に乗って弓を射たところと伝えられている。
「~亭」と名の付く茶店(ちゃみせ)
皐月亭(さつきてい)
夏はここで生ビールを飲もう!
秋、皐月亭(さつきてい)の赤いサネカズラが目を引く。
こちらの甘酒もおいしい。
ショウガがピリッと効いて温まる。
吹上亭(ふきあげてい)
団子を焼きながら販売している。
休憩しながらお茶と団子を楽しもう。
炭火で炙っているので外側カリっと、中はモチモチで柔らかい。
アンコをつけてくれる。
讃岐うどん、おでんも食べられる。
香川県の名物イイダコおでんもあるよ。
花園亭(はなぞのてい)
吹上亭(ふきあげてい)、皐月亭(さつきてい)、小松亭(こまつてい)、花園亭(はなぞのてい)がいい距離にあって、喉が渇いたりおなかが空いたりしても心配ないね。
花園亭(はなぞのてい)の前、南湖に面した場所には貸し切りの泛花亭(はんかてい)がある。
予約をすると使用できる。
朝粥をここで食べよう。
小松亭(こまつてい)
お茶屋さん。
お土産も置いているよ。
石
見返り獅子(みかえりじし)
自然石で、その名の通り振り返った獅子のように見える。
ぼたん石(ぼたんいし)
これも自然石。
ぼたんの花に見えることがその名の由来。
珪化木(けいかぼく)
珪化木(けいかぼく)とは木の化石のこと。
園内で100個ほどあるとのことだけど、私が探せたのは2カ所。
▲両サイドの石が珪化木(けいかぼく)ね。
触ってみたけどまったく石の手触り。
鶏林石(けいりんせき)
飛来峰(飛来峰)に置かれてある石。
江戸時代、各藩の大名が築庭する際、藩主が互いに名木奇石を贈るなどしたものであるが、この石は朝鮮産の石で薩摩藩主島津公から贈られたものといわれている。
標本木
桜前線標本木(さくらぜんせんひょうほんぼく)
香川県の桜(ソメイヨシノ)の標本木。高松地方気象台により毎年桜の開花と満開の時期が観測され、平年では、3月28日が香川県の開花日となっている。
園内ではソメイヨシノやエドヒガンなど約320本の桜がある。
イチョウの標本木(いちょうのひょうほんぼく)
鴨場(かもば)のすぐ近くにある。
香川県のイチョウ標本木。
高松地方気象台により毎年、イチョウの発芽、黄葉、落葉が観測されており、平年では、発芽は4月8日、黄葉は11月25日、落葉は12月1日となっている。
紅葉前線標本木(こうようぜんせんひょうほんぼく)
イチョウ標本木の横にある。
香川県のモミジの標本木。高松地方気象台により毎年、紅葉の時期と落葉の時期が観測されており、平年では、紅葉が11月18日、落葉が12月2日となっている。園内では、ほかにサクラやウメなどの標本僕がある。
梅の開花標本木(うめのかいかひょうほんぼく)
北梅林(ほくばいりん)にある。
香川県の梅の標本木。
高松地方気象台により毎年、梅の開花時期が観測されており、平年では、1月20日が香川県の開花日となっている。園内では、ほかにサクラとモミジの標本木がある。
ノダフジの標本木
旧日暮亭(きゅうひぐらしてい)の道を挟んで横にある。
香川県のノダフジの標本木。
高松地方気象台により毎年、ノダフジの開花時期が観測されており、平年では、4月20日が開花日となっている。
川
玉澗(ぎょっかん)
北湖(ほっこ)と南湖(なんこ)をつなぐ川を玉澗(ぎょっかん)という。
玉澗(ぎょっかん)は中国の水墨画を描く画家。
その他
ジャンル分けできなかった見どころをまとめよう。
洞窟の跡「爛柯石屋(らんかせきおく)」
会僊巖(かいせんがん)から見ると木が邪魔で見にくい。
会僊巖(かいせんがん)のすぐ横にある隠し小道に行くと見ることができる。
(対岸に見える洞窟風の石屋)
代々の藩主が夏に涼をとるため、この場所で碁を楽しんだところと伝えられている。
爛柯石屋(らんかせきおく)とは、仙人たちが碁を打ったという中国の言い伝えに由来する。
石壁(赤壁)(せきへき)
野趣に富んだ西湖(せいこ)の景を支えている石壁は、”赤壁”とも呼ばれ中国の揚子江左岸にある景勝地で、詩人蘇軾(そしょく)が赤壁賦(せきへきのふ)を詠んだことで有名な赤壁に因んで名づけられたとも言われている。自然の岩盤を巧みに取り込んだスケールの大きい庭景を造り出している。
桶樋滝(おけどいのたき)
西湖(せいこ)の石壁(いしかべ)を流れるこの滝は、藩主の観賞用としてつくられた。紫雲山(しうんざん)の中腹に置いた桶まで人力で水を汲み上げたことから桶樋滝(おけどいのたき)という名前がついたと言われている。現在は、西湖(せいこ)の水をポンプアップし流水している。
■流水時間
【10月~3月】7:00~17:00
【4月~9月】7:00~18:00
津筏梁(しんばつりょう)、睡竜潭(すいりゅうたん)、慈航嶼(じこうしょ)、到岸梁(とうがんりょう)
ジグザグの橋が津筏梁(しんばつりょう)。
両サイドにはカキツバタ(4月撮影)が咲く。
この池を「睡竜潭(すいりゅうたん)」、津筏梁(しんばつりょう)の向こう側の島を慈航嶼(じこうしょ)と言う。
慈航嶼(じこうしょ)の向こう側にある橋は到岸梁(とうがんりょう)という。
ここをさらに向こう側に行くと行き止まりの道がある。
行き止まりだから行ってもしょうがないかなと思いつつ、下の観音堂跡、不動口門跡(ふどうぐちもんあと)があった。
観音堂跡(かんのんどうあと)
観音の霊場に因むとされる手前の小普陀(しょうふだ)と相対するこの一角は、藩主松平家の初期に建立され、明治初年に撤去された仏祠、観音堂の跡地である。
紫雲山の東麓で、深山幽谷のこの附近は、豪族佐藤家の居址及び庭跡、即ち、本園発祥の地とも伝えられている。
栗林公園は観音堂跡(かんのんどうあと)や小普陀(しょうふだ)のこのあたりから始まったんだね。
不動口門跡(ふどうぐちもんあと)
藩主松平家の祈願所であったとも伝えられている隣接の法照山悉地院観興寺(本尊:不動明王)へ通じる門がここにあったところである。
行き止まりまで行くと津筏梁(しんばつりょう)を木々の間から見ることができる。
行き止まりだからといっても、栗林公園は隅々まで美しい。
吹上(ふきあげ)
ここから湧いている水が南湖に流れ出ている。
石の間から吹き上げるように吹き出る噴泉の吹上は、本園の東南端に位置する当園の水源地であり、曲水の宴が行われたともいわれている。
江戸時代にはこの場所に考槃亭(こうはんてい)があった。
ここからの出てくる水を鯉さんたちも喜んでいるよ。
▼吹上亭(ふきあげてい)のこの辺りの池を南隅(なんわい)という。
しかしスッポンさんは鯉さんと仲良しなんだね。
▲偃月橋(えんげつきょう)前にて撮影。
古理兵衛九重塔(こりへえくじゅうのとう)
渚山(しょざん)の前にある。
木の後ろにうっすら見えている屋根瓦は小松亭(こまつてい)のもの。
松平初代藩主賴重公の「お庭焼」として正保4(1647)年に京都から招いた紀太理兵衛重利(きたりへいしげとし)が焼いた九重塔である。
船蔵跡(ふなぐらあと)
和船乗場(わせんのりば)から揚橋(あげはし)を渡ってすぐ右に曲がるとある。