武者小路千家「官休庵」と「栗林公園」、「松平賴重」との関係

京都市上京区にある武者小路千家「官休庵」について語る前に、まず香川県の高松藩初代藩主「松平賴重」さんのことに触れる必要がある。

香川県にある特別名勝「栗林公園」は松平賴重さんが整備された。
賴重さんは水戸黄門でおなじみ水戸光圀のお兄さん、徳川家康さんのお孫さんなのだ。

▼香川県高松市「玉藻公園」に展示されている系譜

高松候と水戸候の系譜

賴重さんを身ごもった母「久昌院」さんは、父「頼房」さんに堕胎を命じられるわけだけど、賴重さんは秘密裏に江戸で育てられることになる。

▼幼少期、天龍寺の塔頭「慈済院」でお勉強された。

父「頼房」さんと再会できたのは15歳の時。
20歳の時に高松藩を与えられ初代藩主となる。

▼余談になるんだけど、松平賴重さんは浄土宗の開祖「法然」さんを偲び、香川県に「法然寺」を建てた。


賴重さんのお墓も法然寺にあるよ。

「法然寺」の「涅槃像」は、京都市「清凉寺」の「嵯峨の立ち釈迦」(国宝)に対して「讃岐の寝釈迦」と謳われている仏像だ。
※清凉寺の記事は後日アップ予定。

「千利休」さんのひ孫さん「一翁宋守(いちおうそうしゅ)」さんが高松藩で茶道を指南することになった。
一翁宋守さんは引退後、京都で茶室「官休庵」を建て、武者小路千家を開いた。
高松松平家の茶頭という官職を辞して開いたので、「官休庵」なんだって。

また、栗林公園の「泛花亭(はんかてい)」は、武者小路千家13代家元、有隣斎(ゆうりんさい)宗匠監修の元に建てられた。

前置が長くなったんだけど、「官休庵」に行きたくて行ってきた。

官休庵の公式サイトでは「官休庵」が先にできて、そのあとに高松藩の茶道指南役になったと記載があるけど、栗林公園での説明や、官休庵の前にある説明と違う。
新たな研究によるものなのだろうか?

「官休庵」の名は、流祖一翁が父宗旦と相談して茶室を造った時に、父からつけて貰った名と伝えられています。
その意味は判然としませんが、安永三年(1774)、一翁の百年忌の時に大徳寺第三百九十世眞巌宗乗(しんがんそうじょう)和尚により書かれた頌には、「古人云官因老病休 翁者蓋因茶休也歟」(茶に専念するために官〔茶道指南〕を辞めたのであろう)と解釈されています。

▼官休庵の前にある「官休庵庭園」の説明

京都市指定名勝
官休庵庭園
官休庵は三千家の一つ、武者小路千家の祖、一翁宋守が寛文7年(1667)に讃岐(香川県)高松藩松平家の茶堂を辞し、官を退いたときに建てたと伝えられる茶室である。創立後3度の火災に遭ったが、その都度再建され、明治14年(1881)にほぼ現在見られる姿となった。
敷地内には官休庵の他に、半宝庵、環翠園、祖堂、弘道庵などの茶座敷があり、様々な方法で利用されている。
露地は飛石や蹲踞(つくばい)を巧みに配置し、各茶座敷をつなぐとともに、茶座席からの観賞にも対応する造りとなっている。
また内露地と外露地を結ぶ「編笠門」と、この門の雨落の仕切に並べてある池田炭は、斬新なアイデアで、本庭園の中でも特に著名なものである。
本庭園は、創設以来の伝統的な手法と、斬新なデザインを合わせもつ点で貴重なものである。
平成2年4月2日指定
京都市

官休庵通用門

官休庵通用門ななめから

ネットでの情報によると見学は可能のようだけど調査中。

カラタチかな?

官休庵のカラタチこの通りにずっと生えていたよ。

さて京都御苑の散歩の途中だったので歩いて戻る。

▼ブルーベリー

ブルーベリー

▼バラ

バラ

▼アザミ

アザミ

京都御苑も静かでいいんだけど、なかなか閑静な場所にある官休庵、次回見学してみたいな。