国宝級!仏生山「法然寺」の「涅槃像(ねはんぞう)」
高松市仏生山町(ぶっしょうざんちょう)にある「法然寺」は、法然上人を偲んで初代高松藩主の松平賴重さんが建てたお寺だ。
法然さんは比叡山延暦寺で天台宗を学び、「南無阿弥陀仏」を唱えれば死後は往生できるという浄土宗の開祖である。
その法然さんと香川県の関係は、建永2年(1207)後鳥羽上皇の怒りを買い香川県に流罪となったことによる。
法然さんが住んでいた小松庄生福寺の遺跡周辺に、寛文8年(1668)に法然寺は建てられた。
法然さん自作の阿弥陀如来および真影を本堂に安置、弘法大師空海さん自作の阿弥陀如来ならびに25体の菩薩が祀られている。
京都府でも香川県でも、仏教がらみのお話には常に弘法大師空海さんが関わってくるから興味深い。
法然さんは香川県で布教活動中、空海さんが建てた善通寺にも参詣している。
松平賴重さんは法然さんを追慕して浄土宗に帰依し、松平家の菩提寺としても法然寺を建てたわけで、ここに賴重さんをはじめ松平家の方々も眠っている。
ちなみに賴重さんは初代高松藩主として香川県にやって来た時、栗林荘(現栗林公園)にお住まいだった。
栗林公園があるのも賴重さんのおかげで、法然寺、栗林公園と賴重さん、法然さん、弘法大師空海さんの関係性を考えると実に感慨深く、これらのことは香川県を語るには切っても切れないお話なのである。
「仏生山」という地名も賴重さんが名付けた。
さて、栗林公園で賴重さんのことを学び、法然寺にやっとくることができた。
法然寺を案内しよう。
総門
ここから境内が始まる。
法然寺が描かれている絵図によると「柵門」と表記されている。
以前は葬儀に付き添ってやってきた家臣のための接待所や、馬をつなぐ下馬札などがあった。
十王堂
亡くなった人が生前に犯した罪を裁く閻魔王など10人の王が安置されている。
仏教では7日ごとに10人の王の裁きを受けることになっている。
有名な閻魔さん。
閻魔さんの担当は35日目なんだって~
49日などの供養は、各裁判の罪を軽くするためのもの。
閻魔さんをはじめ各王達よ、お手柔らかにお願いするよ。
座って休もうと思ったけど、まさかこんなところではくつろげないよね・・・
二河白道(にがびゃくどう)
先に見えるのは黒門、そこまでの道を「二河白道」という。
右側(現仏生山小学校)には水の川(むさぼる心)、左には火の川(いかりやにくしみ)を見たて、それを恐れず進めという教え。
(タイヤの跡が残念・・・)
現世から見送る釈迦如来の励ましと、極楽浄土からの阿弥陀如来の招きを信じてここを渡れば極楽浄土に行ける、とのこと。
何ともいい話。
これは賴重さんが描いたことらしいよ。
賴重さん、優しいね。
黒門
黒門ってことだけど黒くないね。
古い記録だと「大門」と呼ばれていたようだ。
昭和62年倒壊したため再建された。
倒壊前は高松藩御庭焼の利兵衛焼きの瓦だったそうだ。
(その時は黒かったのかな?)
栗林公園で京都から招いた紀太理兵衛重利(きたりへいしげとし)さんのことを知っていたのでつながった。
仁王門
切妻造、本瓦葺で19世紀初期のもの。
五重塔
平成23年に新築された五重塔。
歴史は浅く、ありがたみは少ないけれどとても美しい。
梅はまだまだこれから。
文殊楼へ向かう。
向こう側に見えているのは文殊楼なんだけど、その手前には二尊堂があった。
平成26年に焼失したんだって!
文殊楼
結構急な階段を上ると文殊楼がある。
梵天、帝釈天を祀っている。
悟りの表情、心が落ち着いた。
しばし見つめたよ。
どちらが梵天・帝釈天なのかは分からないけど(笑)
来迎堂(らいごうどう)
文殊楼がゴールだと思っていたけど、まだ先があった。
新緑の頃、この景色は映えるだろうね。
また夏に来たい。
内部を覗いたら真っ暗だった。
8月16日、12月31日の夕方、万灯会(まんとうえ)に公開されるのだとか。
公開に合わせてリベンジ。
しかし写真を現像したら写っていたよ。
直には見えなかったのだけど、カメラってすごい。
中央は弘法大師空海さん自作の阿弥陀如来で、取り囲んでいる菩薩は楽器などを奏でているなどの二十五菩薩像。
京都の平等院鳳凰堂の中にも楽器を持っている菩薩がたくさんいて、極楽とは楽しいものだということが表現されていたな~
般若台
そう、ここに一番来たかったのだ。
松平家のお墓をお参りしたかった。
ところが閉まっていて入ることができなかった・・・
去年の台風で壊れて工事中とのこと。
年内には直るらしく、改めて松平家のお墓をお参りに来たいと思う。
賴重さんは貴賤にかかわらず、法然寺境内に墓を建てることを禁止しなかった。
一般人のお墓と藩主のお墓が混在するということは珍しいことなのだとか。
善政を行ったと聞いていたけど、やはり賴重さんは心優しい方だったのかもしれないね。
さて、降りる。
いい眺め。
涅槃門(ねはんもん)
三仏堂の前に立つ涅槃門。
三仏堂のことは後述する。
法然寺の扁額が掲げられている。
三仏堂
内部に阿弥陀如来像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩像を本尊とすることから三仏堂と呼ばれている。
また、木造釈迦如来涅槃像が安置されており、涅槃堂とも呼ばれる。
前述の涅槃門の名前の由来でもある。
賴重さんはお釈迦様の命日に涅槃会をすることにしていたようで、現在でも3月に行われている。
三仏堂と書院は350円で拝観できるので、後で行くよ。
本堂門
三葉葵、いいね。
寛文年間(1661~1673)の建築で平成3年、本堂と共に改修された。
本堂
中に入る。
▼中央にあるのが法然さん自作の阿弥陀如来像。
あら、親鸞聖人さんも。
親鸞さんは、法然さんを師と仰いだ浄土真宗の宗祖。
ちょうどお寺の方がいらっしゃたので、三仏堂と書院の拝観をお願いしたところ、書院は工事中で見られないとのこと。
重要文化財を見に来たのに残念。
三仏堂内部
三仏堂は、せっかく来たのだから見ていくかな、という気持ちで入ったんだけど・・・
▼祖師堂を通って行く。
あ、いつもの仏像があるだけのパターンね。
昭和の製作とか歴史が浅いなぁ。
三仏堂の重たそうなドア、ちょっと真っ暗で怖いなと思いながら開けると・・・
何!このオーラ!
歴代の法然寺住職の像らしい。
あ、法然さんだけは色付き。
脇にあるお花は造花ではなく本物。
とても力強い仏像たち。
と、その時、私には極楽浄土が見えたよ。
何と美しい!
(写真撮影禁止、と書かれてあるけど、撮影してもいいとのこと)
▼中央の3体が県指定有形文化財。
「嵯峨の立ち釈迦」に対して「讃岐の寝釈迦」と謳われている仏像。
作者不詳で調査中とのこと。
早く分かればいいのにね。
賴重さんの正室晧月院殿の菩提を弔うために作られたそうだ。
嵯峨の立ち釈迦は京都の清凉寺にあり、国宝なのだとか。
作者が分かればこの寝釈迦も国宝になりうるのかな。
▼2019年、京都「清凉寺」に行ってきたよ。
嵯峨の立ち釈迦は1000年も前の作。
寝釈迦は賴重さんの時代につくられたものだとしたら、国宝にはならないかもしれないけど歴史のお勉強ができてとても有意義だった。
清凉寺にもぜひ訪れてみていただきたい。
天井も美しいね。
「涅槃図」を立体的に表現したものとのこと。
この時は気が付かなかったのだけど、猫がいたんだよ。
歴史の中で猫の置物は珍しいんだって。
猫は昔から良いイメージがなく、なかなか仏教の世界には登場しない。
でもお釈迦様の教えから、差別するのは良くないのではないかとの考え方が生まれたんだって。
平成の庭
本堂から寺務所に渡る廊下から見える庭園。
見返り地蔵堂
境内から総門を出たところに見返り地蔵堂がある。
この地蔵尊の兄弟像が太田池の側にあるとのこと、というのを後から知った・・・
次回リベンジ。
まとめ
期待以上に素晴らしいお寺だった。
香川県高松市に観光にお越しの際は、法然寺、栗林公園、玉藻公園のセットでまわると旅の楽しみが深まると思う。
あ、そう言えば讃岐七福神の大黒天さんがいたよ。
七福神巡りも楽しいかも(^^♪
拝観料350円を支払うと、法然寺クッキーがもれなくいただける。
明日食べよ(^^♪