国宝「生きているお釈迦様」所蔵!嵯峨釈迦堂「五台山清凉寺」

五台山「清凉寺」とは

京都市右京区にある「清凉寺」は真言宗のお寺。
元は「棲霞寺(せいかじ)」というお寺だった。

真言宗開祖「法然」さんが7日間滞在して民衆を救済する方法を深く考えた場所。

また、「阿弥陀堂」は、諸説あるのだけど「光源氏」のモデルとされている「源融(みなもとのとおる)」の別荘だった。

さらに「澄泉閣(ちょうせんかく)」の庭園「鶴の松の庭園」は小堀遠州さんの作庭によるもの(とされている)。

かなりみどころ満載なお寺なんだけど、今一つマイナーなイメージ(失礼)

しかし今回私はとても清凉寺に訪れたかった。

香川県の「法然寺」にある「讃岐の寝釈迦」に対し、「嵯峨の立ち釈迦」と呼ばれている仏像は国宝だということがその理由。
「法然寺」は法然さんをしのんで松平家が建てたお寺。

松平家や法然さんについて学習も深めたかったんだよね。

さて思い焦がれてやっと来ることができたよ。

仁王門

清凉寺仁王門

超有名な観光スポット嵐山を通り過ぎて来るのは少し残念だったけど、大きな目的があったからね(笑)
嵐山は以前散策したし。

嵐山観光で少し足を伸ばしてここに訪れる計画をおすすめしたい。

清凉寺の仁王1

こちらの阿吽の仁王さんは赤い。

清凉寺の仁王2

赤いのですごみが強調されてるね。

法然の像

あ、法然さん、香川県でお会いしましたね。

清凉寺の法然像
求道青年像

24歳の時に7日間、清凉寺に滞在したことが書かれてあった。

多宝塔

清凉寺多宝塔

本堂

さて、本堂に行こう。

清凉寺本堂

堂内は写真撮影禁止。
ダメ元で聞いてみたけど・・・

でもしっかり目に焼き付けてきたよ。

お釈迦様が37歳の時、ご自分にそっくりのつくられた像を見て「私が亡きあとはこの像が私に替わって衆生(しゅじょう)を済度するであろう」とおっしゃった。
その像はインドから中国へ伝えられた。
(ここちょっと不思議。なぜそんな大事な像が中国に渡ったのか?)

985年、清凉寺開基の「奝然(ちょうねん)」さんは中国でその像を見て模刻し、日本に持ち帰ったものが現在まで存在しているわけだ。
模刻された時、中国の僧が絹で作った五臓六腑などを体内に施入した。
1000年も前に人間の体の構造を知っていたことを示す貴重な資料にもなっている。

また、額に銀製の仏、眼には黒水晶、耳には水晶など、体内にいろいろ埋め込まれていることがレントゲン写真で分かった。

完成した釈迦如来像のお顔に仏牙を入れた時、一点から血が出て、生身の仏であることを示したといわれている。

まさに「生きているお釈迦様」なのだ。

かなり貴重な仏像だね。

本堂からはそのまま廊下を渡って澄泉閣に行くことができる。

清凉寺澄泉閣までの廊下

あの細長く背の高い木は何だろう?
(彼女が「高野槙」ではないかと)

清凉寺澄泉閣の高野槙

厳かな雰囲気立ち込める。

清凉寺澄泉閣までの廊下2

弁天堂

澄泉閣に向かっていると廊下から弁天堂が見える。

清凉寺弁天堂

忠霊塔

弁天堂の横には忠霊塔がある。

清凉寺忠霊塔

澄泉閣

澄泉閣入り口
澄泉閣入り口

澄泉閣内部

鶴の松の庭園

庭園は「小堀遠州」さん作庭によるものと伝えられている。

澄泉閣庭園1

小堀遠州さんは「南禅寺」の方丈庭園を作ったお方。
何となく分かる。

澄泉閣庭園2

澄泉閣庭園3

澄泉閣庭園4

杉戸絵

清凉寺澄泉閣杉戸絵

京都に来て杉戸絵はことごとく写真撮影禁止だったのでうれしい限り。

清凉寺澄泉閣杉戸絵2

阿弥陀堂

元は光源氏のモデルとなった源融(みなもとのとおる)さんの別荘。

清凉寺阿弥陀堂

三葉葵の家紋があるけど、再建に徳川家が絡んだと思われる。
清凉寺本堂が焼失した時、徳川綱吉さんの生母「桂昌院」さんの発願、住友吉左衛門さんの援助で再興されている。

清凉寺阿弥陀堂内部

徳川家は寺院をとても大切にしているね。

それはさておき、「源氏物語」の54帖の中の「松風」には、光源氏が造営した「嵯峨の御堂」についてこう書かれている。

(光源氏の)つくらせたもう御堂は、大覚寺の南にあたりて、瀧殿の心ばへなどおとらず、おもしろき寺なり

ふむふむ、清凉寺しかありえないような・・・
あ、京都にも「法然寺」があるんだね。

まとめ

霊宝塔は春季(4、5月)、秋季(10、11月)に特別公開され、国宝「棲霞寺(せいかじ)本尊阿弥陀三尊像」を見ることができる。
また寺紋は梅のマークで、雪のような八重の白梅が咲くそうだ。
その時期にまた来たい。

香川県の法然寺つながりというだけで気軽に来たんだけど、正直こんなに貴重なお寺だと知らなかった。
訪れる価値大だと思う。

「嵯峨の立ち釈迦」にお会いできて大変うれしく、さらに「生きているお釈迦様」だということも知ることができとても有意義だった。