世界遺産下鴨神社に行ってきた。『大炊殿』編
古都京都の世界文化遺産、下鴨神社に行ってきた。
下鴨神社は世界遺産であり、東本殿と西本殿は国宝。
下鴨神社は正式に「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」という。
市バス下鴨神社前で下車し歩いて行く。
清めましょうぞ。
南側から入ると正面のようなんだけど、西側から入ってきたことになるんだね。
結論から言うと、西側から入ることが正解だった。
これは後になって分かることなんだけど、本殿→糺の森→河合神社→鴨社資料館「秀穂舎」と北から南に向かってまわった方が流れが良かったので。
最後に下鴨神社を南に抜けたところでおすすめの観光スポット「旧三井家下鴨別邸」を鑑賞もできるしね。
さてレポート開始~
御祭神:印璽大神(おしでのおおかみ)、倉稲魂神(くらのいなたまのかみ)
御本宮の御垣内に古くから祀られてある印璽社(おしでのやしろ)の御祭神を祀り、ここに古印を納め御守護を仰ぐお社である。またこの一帯は平安時代初期より室町時代まで賀茂斎院御所(文明の乱により焼失)のあった由緒地である。
桜が少し咲いていたよ。
あてもなく境内を散策しよう。
(ちょっとお疲れ気味でレポートする意欲がなかったもので・・・)
▼左の建物は神服殿。
これは美しい松!
「ちはやぶる鴨の社のひめこ松よろずよふとも色はかわらじ」藤原敏行(古今和歌集)
賀茂祭(葵祭)、御陰祭のとき奏される東游はわが国最古の歌舞である。
この松は歌の二段目「求め子」で賀茂の社のひめ小松とうたわれた媛小松である。
なお「ひめこ松」のひめは当神社の御祭神
玉依媛命の御名にちなんで
「媛」と記されるようになった。
干支に合わせて皆さんそれぞれ参拝されていた。
「水みくじ」といって、水につけると文字が浮かび上がるおみくじをされている。
「みたらし団子」発祥の地!!
重要文化財の「大炊殿」、「河合神社・鴨長明資料館」、「鴨社資料館秀穂舎」の3つを巡るには500円が必要。
授与所に行って受付をするよ。
まずは授与所横から入っていく「浦の回廊」を通って「大炊殿」に向かう。
(「河合神社・鴨長明資料館」、「鴨社資料館秀穂舎」はまた違う場所だよ。)
浦の回廊について
浦・ウラ、とは「奥深い」とか、御陰祭の「カゲ」など、無文字時代の言葉です。
古い時代の人々は神さんのことを尊んでそのように言い表しました。「浦」は、あて字です。浦島太郎などもその一つです。奥の神さんへお参りする参道、という意味です。
先年、この付近の発掘調査の結果、古墳時代の御稲(みしね)倉跡が出土しました。稲も神々がやどられる依代(よりしろ)の信仰があります。また水分神(みくまりのかみ)をお祀りする氷室がありました。当神社の氷室は、糺の森のわき水を凍らせて年中祭事に御供しました。
古くから、四方拝と称して御本宮を四方から拝禮するために渡る回廊でしたが、戦時中、戦災防火のため撤去したのをこの程、第34回式年遷宮事業の一環として復旧が実現しました。
竹垣が素敵。
大炊殿が見えてきた。
この辺りを「葵の庭(カリンの庭)」という。
葵の庭(カリンの庭)
「忘れめやあふいを草にひき結びかりねののべのつゆの曙」
(第31代斎王式子内親王・新古今和歌集)
賀茂斎院御所のアオイの自生する「葵の庭」をお詠みになった。
文明の乱の兵火により殿舎が退転したが、庭がここに再顕された。
大炊で調製される御薬酒陽薬草も植栽されており、特にカリンの古木が有名で「カリンの庭」とも呼ばれている。
お、カリンあった。
大炊殿は神様のお食事「神饌(しんせん)」を調理する場所。
明治4年(1841)社家世襲制度廃止令にともない神饌を調進してきた「膳部(かしわべ)」が神社から離れることとなった。
明治政府が神饌の内容を統一したことにより大炊殿の役目がなくなってしまったそうだ。
大炊殿の横にはちょっとした資料館などがあった。
▼近衛家熈(このえいえひろ)(左)、後陽成天皇(中央)、山岡鉄舟(右)の御神号。
▼賀茂匡保の襖絵。保存のため掛け軸になっている。
賀茂匡保さんのお父上は上賀茂神社の社家で大師流の能書家で書博士。
徳川(松平)家の三ッ葉葵紋は下鴨神社の御神紋から頂いたとのこと。
▼下鴨神社の御神紋
※画像は公式サイトから
賀茂祭(葵祭)前儀、流鏑馬神事及び御陰祭で使用しているという現役の馬車。
さて、「河合神社・鴨長明資料館」、「鴨社資料館秀穂舎」についてはまた次回に。
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