世界遺産「龍安寺」の石庭
今回の京都旅行は世界遺産を中心にまわっている。
本日は金閣寺に続き石庭で有名な世界遺産龍安寺(りょうあんじ)へ。
曇りの日であることが残念だった・・・
龍安寺(りょうあんじ)の「龍」は「りょう」と読むのだけれど、坂本龍馬(さかもとりょうま)、画竜(龍)点睛(がりょうてんせい)など「りょう」と読むことは身近にあることだね。
龍安寺は宝徳2年(1450)、足利将軍の管領職にあった細川勝元さんが、徳大寺公の山荘を譲り受け、妙心寺第五世の義天玄承(詔)禅師を開山に迎え創建された。
拝観受付をし、山門をくぐる。
(山門の写真をなぜ撮っていない・・・)
石庭のある方丈まで少し歩くことになる。
紅葉の見頃は随分過ぎているのだけど、この楓さんは12月末に紅葉するんだね。
途中湯豆腐の看板を発見し、昼ご飯は湯豆腐にしようと決定。
屏風は儒学者の寺西乾山(1860-1945)の1934年作品。
陶淵明の漢詩「飲酒」を書いている。
龍安寺は応仁の乱(1467)で焼失し、勝元の実子・政元によって再興された。
※「応仁の乱」は最近では「応仁・文明の乱」と呼ばれている。
明応八年(1499)には方丈が建立され、石庭はその時にできた。
現在の方丈は、寛政9年(1798)の火災により消失後、塔頭(たっちゅう)西源院の方丈を移築したもの。
(龍安寺は計3回焼失した。)
金閣寺の記事でも記載したんだけど、「塔頭」についての以下説明を。
塔頭とは
塔頭(たっちゅう)は、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院。門徒らによって立ち並ぶ塔の中でも首座に置かれたこと、あるいは、門徒らが塔のほとり(=「頭」)で守ったことから塔頭と呼ばれたなどの説がある。
塔中(たっちゅう)、塔院(とういん)、寺中(じちゅう)、院家(いんげ)とも。
やがて塔頭に類する塔台を建立するようになった他宗派も現れたり、後に改宗や廃絶したものの塔が残ったりなど現存例は混然としている。※Wikipediaより抜粋
仏様の手、千手観音のイメージだね。
▼雪景色の石庭の写真、この時期にも来たいな。
美しい。
排水のためと、遠近法で広く見せるためやや傾けるという工夫がされているらしい。
写真手前が低くなっているようだけど・・・
そういえば遠近法は桂離宮の延段でも見られたね。
石の向こう側を細くして遠近感を生み、広く見せている。
いろいろ調べてみたんだけど、「15個がすべて見えるポイントがある」説、「どこから見ても1つの石は見えない」説が両方散見し、次回実際に調査する必要がある。
(リベンジが多い旅行となっている)
▼中央の細長い石の裏側には「小太郎(こたろう)・清二郎(きよじろう)」と刻印されている。
名前の意味も石庭の作者も不明だとのこと。
土塀にも一工夫ある。
モノトーンの空間を囲む、高さ1メートル80センチの土塀。
油土塀と称するこれもまた、石庭を傑作とならしめる重要な構成要素である。
この油土塀とは、菜種油を混ぜ入れ練り合わせた土で作られており、白砂からの照り返し防止や、長い風雪、環境変化に耐えぬく、非常に堅牢な作りに仕上がっている。
ちなみに石庭面は、外側の地面から80センチほど高い場所に位置する。
これも強固さを保つための工法上の工夫によるという。
公式サイトからの抜粋を続ける。
わずか75坪の白砂の空間に、大小一五個の石を配置。
この極端なまでに抽象化された構成に、作者は一体なにを託したのか。
一般には「虎の子渡しの庭」「七五三の庭」と呼ばれる。
あるいは、大海や雲海に浮かぶ島々や高峰、「心」の字の配石、また中国の五岳や禅の五山の象徴とも。
もとより作者の意図は今や不明。
禅の公案にも見えるが、ただ鑑賞者の自由な解釈と連想にゆだねるしかない。
いろいろな知識を得て見る楽しみ方と、無知で真っ白な心で見る楽しみ方、どちらも楽しいさ。
ということで「虎の子渡しの庭」「七五三の庭」については今回割愛する。
皐月鶴翁(さつきほうげつ)さんが描いた襖絵を鑑賞しましょ。
昭和30年ごろに描かれたもの。
本来は狩野派の絵があったんだけど、明治初期の廃仏毀釈で失われてしまったのだとか。
※2018年12月21日速報
流出した桃山時代の襖絵が123年ぶりに戻ってきたとのニュースが入った。
かつては90面あった襖絵の8枚が戻ったとのこと。
(アメリカの美術館が12面を所有していて、その他はまだ不明)
2019年1月10日から一般公開するらしいので要チェックだね。
大の字になって昼寝したい。
(入れないよ)
方丈は縁側をグルっと1週できるようになっている。
裏側に行くと・・・
お茶の時の手水鉢(ちょうずばち)ね。
「吾(われ)、唯(ただ)、足(た)ることを、知る」と読む。
へ~真ん中の「口」がすべて重なっているんだ。
相当面白い。
昔の方々の洒落が伝わってくるね。
「金持ちでも心が貧しければダメ、貧乏でも心が豊かであればOK」(私の解釈)
本物は非公開の茶室「蔵六庵」に置かれてある。
(特別拝観時期に見ることができる)
水戸黄門でおなじみ徳川光圀さんの寄進といわれている。
咲いてなかった。
金閣寺にはあったよ。
ちょっと古びちゃってるけど、それでも侘助椿さんは枯れてしまうまで美しい。
千利休さんをはじめ多くの茶人に愛され、豊臣秀吉さんも大絶賛だった侘助椿、私のイメージは、美しく、物静かな和服を着た女性のイメージ。
枯山水の石庭と方丈の襖絵、緊迫感と静寂感が醸しだす空気が素晴らしかった。
心をかなり動かされた感覚、癒されたね。
多くの方が訪れ大絶賛している理由が分かった。
さて、湯豆腐食べに行こ!
紅葉シーズンは賑わっただろうな~
濡れたマンリョウさんも素敵。
黄色がセンリョウさんだと勘違いしていたんだけど、こちらは枝が緑色なのでやはりマンリョウさん。
センリョウさんは枝が茶色なんだって~
湯豆腐は高額だったので諦めることに。
次の仁和寺までにお昼ご飯を探そう。
水位を測るために設置された石。
龍安寺のお土産屋さんに食事になりそうなものを発見。
湯葉がおいしい。
京都と言えば湯葉。
豆腐は次の機会に食べよう。
京都に来ればわらびもちも食べねば。
(これが食事かい!?)
腹ごしらえ完了、仁和寺を目指そう。
▼京都世界文化遺産を巡っているので応援をよろしく!