京都最古の禅寺「建仁寺」のアートが美しすぎる
建仁寺の国宝「風神雷神図屏風」を見たくて建仁寺に行った。
予備知識なく、行けば見られると思っていた(笑)
結論から言うと、高詳細複製品と陶板複製品の2点が飾られてあり本物はなかった・・・
残念だったんだけど、建仁寺がとても素敵なお寺だったので救われた。
京都駅から市バスに乗り、祇園で下車。
八坂神社を見ながら四条通に出る。
花見小路に入るとその先が建仁寺。
花見小路は私の中で京都のイメージが強い。
建仁寺は日本の臨済宗開祖、栄西さんが建てたお寺。
とても楽しみだ。
栄西さんは中国からお茶を持ち帰って喫茶の法を普及した茶祖でもある。
栄西さんは持ち帰ったお茶を高山寺の明恵(みょうえ)さんにお茶を進呈された。
それが現在のお茶で、宇治茶はそこから派生した。
▼高山寺で学んだこと
京都を感じながら建仁寺北門に到着。
まずは風神雷神図屏風を見に行こう。
本坊の風神雷神図屏風
拝観料を支払って本坊に入ると、すぐに憧れの風神雷神図屏風が。
横に「陶板複製品」と書いてある・・・・
ぬお~本物じゃないんか~い!
あ、でもよく見るといいものはやっぱりいい。
※本物は京都国立博物館にある。
ちょうど展示されている時に見てきたよ(^^♪
方丈の海北友松(かいほうゆうしょう)襖絵
気を取り直して方丈へ。
「海北友松(かいほうゆうしょう)」さんの襖絵を鑑賞しよう。
全て高詳細複製品だけど。
近世初期の建仁寺復興にからんで海北友松が制作した日本を代表する水墨画群、重要文化財「建仁寺丈障壁画」五十面のうち礼の間を飾る八面の襖絵。 建仁寺方丈に招かれた客が最初に通される礼の間に於いて、北面には咆哮とともに雲間から出現する龍が、西面には待ち構えるように睨みをきかす龍が、それぞれに雲を従えながら圧倒的な迫力をもって描かれている。近世以来武門・禅門に特に好まれた龍を画題として、力量の試される大画面に余すことなく描きあげた本作品は、海北友松の得意とする水墨の龍の中でも随一の作品と言える。
出展:CANON文化財未来継承プロジェクト|建仁寺方丈壁画「雲龍図」
以前に盗難にあった11面観音菩薩坐像。
無事に戻って良かった。
近世初期の建仁寺復興にからんで海北友松が制作した建仁寺方丈障壁画五十面のうち室中の間を飾る十六面の襖絵。竹林七賢とは、中国の魏晋の時代(3世紀半ば)国難を避け、竹林の中に入り、酒をお飲み、楽を奏で、清談(俗世から超越した談論)にふける七人の賢者のこと。当時の権力者である司馬一族による礼教政治(言論の自由が許されない)を批判していたといわれ、その自由奔放な言動が後世の人々から敬愛されたと伝わる。海北友松は、袋絵または袋人物といわれる、あたかも風をはらんだ袋のような衣をつけた人物画を得意としており、本作『竹林七賢図』はその代表といえる。
出展:CANON文化財未来継承プロジェクト|建仁寺方丈壁画「竹林七賢図襖」
近世初期の建仁寺復興にからんで海北友松が制作した建仁寺方丈障壁画五十面のうち檀那の間を飾る八面の襖絵。
東側の四面は、水景と楼閣滝の場面。北側の四面は、楼閣・水景・滝の場面が描かれている。
本作『山水図』は、建仁寺大方丈の各部屋に見られる室中の間の袋人物をはじめとした、『雲龍図』(礼の間)、『花鳥図』(書院の間)、『琴棋書画図』(衣鉢の間)と絵画の内容がはっきりと描かれている点で異なり、玉潤に学んだとされる溌墨草体(墨のにじみ、かすれで表現)で淡墨を基調に濃墨の巧みなアクセントが入れられ、大きな余白も実に効果的で、友松様に昇華された画風がみられる作品である。
出展:CANON文化財未来継承プロジェクト|建仁寺方丈壁画「山水図襖」
近年初期の建仁寺復興にからんで海北友松が制作した建仁寺方丈障壁画五十面のうち上間一之間(衣鉢の間)を飾る十面の襖絵。本作品のみが著色画であるが、狩野派的な真体着色画とは大きく印象が異なり、水墨画的要素をとどめている。友松の画体は狩野派の影響を受けた画風から、玉潤や梁楷の様式を導入し狩野派を脱しようとする画風、そして友松様式の確立した画風へと変遷するが、この作品は長い画面中に主題に関わる画面を中心部に集め両端に空間が広がっているのが、狩野派的構図からすると異例でありこの仕事に賭ける彼の意気込みが見て取れる。
出展:CANON文化財未来継承プロジェクト|建仁寺方丈壁画「琴棋書画図襖」
メインの右側の写真の正面のデータが消えた・・・
近世初期の建仁寺復興にからんで海北友松が制作した日本を代表する水墨画群、重要文化財「建仁寺方丈障壁画」五十面のうち書院を飾る八面の襖絵。 西側の大小の壁貼付絵二面と襖絵二面には二本の松を生やす盛り上がった地面から今まさに飛び立たんとするばかりに体をよじる孔雀を描いている。南側の襖絵四面には、春の趣を伝える梅に留まる叭々鳥(ははちょう)のつがいと池に浮遊する三羽の水鳥を連続した構図で描いている。
海北友松の筆使いが華麗さと豪胆さを持って語りかける建仁寺方丈障壁画の白眉である。
出展:CANON文化財未来継承プロジェクト|建仁寺方丈壁画「花鳥図襖」
以上5点、海北友松(かいほうゆうしょう)さんの作品。
高詳細複製品は、出展で記載したCANONさんのものを使用している。
本物は京都国立博物館にある。
方丈の石庭
ここ方丈の前には石庭が広がる。
龍安寺のような石庭だね。
左側が下がっているのかな?
▼向こう側の建物は天井画「双龍図」がある法堂(はっとう)。
後で見に行くよ。
かなりいい石庭だよね。
見ている皆さんがすごくいい顔をしているのが印象的だった。
〇△□乃庭
〇と△と□があるらしい。
△は~・・・
あの斜めの部分ね。
(本当にそうかな・・・)
小書院の鳥羽美花さんの作品
方丈の小書院には鳥羽美花さんの襖絵が飾られてあった。
これは本物。
反対側の襖にも絵があった。
開山栄西禅師八百年大遠諱慶讃特別展とのことだ。
■開山栄西禅師八百年大遠諱慶讃特別展「鳥羽美花―禅を染める」 | 鳥羽美花オフィシャルサイト
潮音庭(ちょうおんてい)
小書院の奥には大書院があり、その中庭が潮音庭。
4方向から枯山水の庭を見ることができる。
お、風神雷神図屏風が見える。
ずっと座って眺めている方のお気持ち、分かる。
鳥羽美花さんの作品が見える。
紅葉シーズンは終わっているんだけど幸運にも見ることができた。
大書院
先ほどの陶板複製品とどちらがいいかな?
ガラスの反射が残念・・・
中国臨済宗開祖、臨済禅師が「喝!」と言っているところ。
日本画家、都路華香(つじかこう:明治3年~昭和6年)さんの作品。
茶室「東陽房」とその周辺
履物をかえて(サンダル)、離れた茶室「東陽房」に行ってみよう。
クチナシさんこんにちは、よくお会いしますね。
田村月礁(たむらげっしょう)さんは1846年生まれ。
この年代にして油絵画家として認められたのだけど、晩年は仏画に没頭。
67~69歳の時に「唐子遊戯図」を、この硯を使って描いたとのこと。
カエルさんデザインはご本人の作。
「唐子遊戯図」は方丈にあったよ。
毛利家の外交僧だった安国寺恵瓊さんの首塚。
豊臣秀吉さんにも買われた恵瓊さんは建仁寺方丈の移築など多くの功績も残している。
関ケ原の戦いで、恵瓊さんは毛利家西軍荷担の罪で斬首され、建仁寺の僧侶によってここに埋葬される。
ガラス越しに覗いてみたよ。
納骨堂は立ち入り禁止なのでここまで。
さて、法堂(はっとう)の天井画を見に行こう。
法堂(はっとう)
平成14年(2002)創建800年を記念して描かれた。
これだけだと大きさが分からない。
かなり大きい龍の絵。
これも見応えある。
100年後は歴史的に価値の高いものになるね。
まとめ
アート作品たちは複製品だったけど、潮音庭や方丈石庭、流れている空気などとても素晴らしいお寺だった。
どこをとってもすべてがアート。
本来のお寺の機能に加えて、美術館にも思えるね。
美術館に行ってアート作品を鑑賞するより、とても感覚が刺激されるのは建仁寺に流れている空気によるもの。
そしてアートたちが建仁寺をより引き立てていて何とも言えない感覚が得られた。
京都国立博物館にも、リベンジも兼ねてまた行かねばならなくなった。