屋島城址「浦生の石塁」に行く。
屋島城跡は屋島に3カ所ある。
一つは頂上付近にある「城門跡」。
ここはメジャーなのですぐに行くことができる。
2つ目は屋島寺の北側にある「北斜面土塁」。
(ここはまだ未踏)
そして本日は3つ目「屋島城址(浦生の石塁)」に行く。
あまり情報がなく困惑したんだけど、高松市屋島西町「鵜羽(ウノハ)神社」から行くことができる。
写真右側を上がって行くよ。
いろいろ分岐があるんだけど・・・
分岐があって分かりにくいんだけど、この砂防ダムをまず目指すといいよ。
さて、道を探す。
夏はマムシ、スズメバチなどが危険で、さらにヤブコギ(草木をかき分けて進む)なので冬を選んだ。
しかし枯葉ですべるすべる。
木を掴んで登ることがあるので、軍手が必要かも。
アドバイスだけど、必ずテープがあるので、見失ったらテープを探してね。
もしなかったとしたら、直前のテープまで戻って勇気ある撤退をするように。
屋島は低い山だけど、絶対に軽くみてはダメだ。
道が竹で塞がれてくる。
テープを見失った・・・
撤退しようかと周辺を探すとまたテープを発見。
絶対にこのテープを頼りに移動してね。
ひょっとして石垣の石では?
あれ、テープが下っていく道があるぞ?
少しだけ登ってみよう。
屋島城址
屋島城址は、「日本書紀」の天智天皇6年(667)11月の条に「倭国の高安城・讃吉国山田郡の屋嶋城・対馬国の金田城を築く」との記事にある古代の山城である。
当時、朝鮮半島の新羅により半島が統一され、663年の白村江の敗戦によって、国内に大陸や半島からの侵攻が予想された。このため対馬から北九州、瀬戸内を経て大和に至る要所に築城し、防衛力を強化した。屋島城は、瀬戸内東西の中間地点で、備讃海域を防衛するうえで、重要な城であった。
現在、屋島城址に関係する遺構には、標高100mの山腹に谷川と直角に交わる石塁と、その北西に、ほぼ三段に盛土した瘤状の櫓台を推定される遺構がある。ここからは備讃海域の視野は広く遠望もきく。高松市教育委員会
勘違いをしていた。
戦国時代の城なのかと思ったら、古墳時代、飛鳥時代の時期の城だったんだ!
ここにずっと来たいと思っていた。
なかなか情報もなく、時間もなかった。
やっと来ることができてすごく嬉しい(^^♪
ここから屋島頂上まで行くのが「浦生ルート」。
しかしテープを発見できず・・・
勇気ある撤退を。
また情報を仕入れる必要がある。
そして別ルートを降りて分かったことがある。
ふ~ちょっとした冒険だった。
今日登った道はすごく怖かったよ・・・
鵜羽神社の前は海があるんだよ。
浦生ルート、次回は絶対頂上まで登るよ!