触れることのできる名勝「旧徳島城表御殿庭園」
徳島市にある徳島中央公園内には「徳島城址」がある。
徳島城址の庭園「旧徳島城表御殿庭園」は国指定の名勝である。
ホームページなどでは見当たらない情報だけど、公園内にある「徳島市立徳島城博物館」に入館すると庭園の入園料金は無料となる。
徳島中央公園は、徳島駅やそごう徳島店でウィンドウショッピングや食事をした後によく散歩に来る。
庭園や博物館があると知らなかった(笑)
徳島中央公園は特に動植物を観察することができてとても魅力的な公園。
桜の見頃はまだだけど、少し咲いていたよ。
来週は花見客で賑わうだろうね。
さてレポートしましょ。
まずは徳島博物館博物館を鑑賞。
特別展示を行っていた。
※画像は徳島市公式HPから
戦国時代、四国を平定したのは長曾我部氏。
1585年長曾我部氏は豊臣秀吉さんに征伐され、武勲のあった蜂須賀家政さんが四国を任される。
蜂須賀家政さんは徳島城を築城し、城は明治維新まで存在していた。
廃城令(1873年)で徳島城は撤去され、現徳島中央公園となっている。
ちなみに徳島城は日本百名城の一つ。
入園。
名勝
旧徳島城表御殿庭園阿波・淡路両国25満7千石の大名蜂須賀家の居城であった徳島城の表御殿に設けられた庭園。
茶人武将上田宗箇(うえたそうこ)の築堤とされます。枯山水と築山泉水庭から構築された回遊式の庭園で、昭和16年(1941)12月13日に国の名勝に指定されました。南側に位置した枯山水は大きな石を大胆に使用した庭園で、特に長さ10.5mの青石(緑泥片石)で作られた石橋は圧巻です。また、桃山時代に大名が好んで用いた蘇鉄(ソテツ)が17株も現存し、豪壮さが忍ばれます。
北川の築山泉水庭は、江戸時代には東側の堀から水を引き入れていたため、「潮入り庭園」と呼ばれています。
池のほとりにある枯滝と島々の石組には見応えがあります。城郭内部に設けられたため、1,520坪と、決して規模は大きくありませんが、桃山様式を顕著に示しており貴重です。
なるほど。
まずは枯山水庭園。
ん?庭を離れて見るだけではなくて、随分奥深い所まで通ることができるんだね。
石橋も渡ることができる。
というか庭園内ほぼすべて歩いて見てまわることができる。
この石橋は徳島藩初代藩主、蜂須賀至鎮(よししげ)さんが踏み割ったと伝えられている。
▼石橋の向こう側、分かりにくいけど折れている所がそうだね。
なぜ踏み割ったのかは不明。
踏割石、地団駄橋と呼ばれる。
枯山水庭園、お見事。
蘇鉄(ソテツ)が17本もあるんだって。
薩摩藩の島津さんから贈られたものかな?
蘇鉄の自生北限は鹿児島県だからね。
松もよく手入れがされていて美しい。
御影石(花崗岩)を加工した豪華な切石橋。
長さは6メートル。
橋がたくさんあるのも桃山様式庭園の特徴。
子孫繁栄を祈る祈願石で、ドクロにも見たてられ穴の内側に耳を寄せると、地獄の釜のたぎる音が聞こえるともいわれている。
・・・訪れた方は顔を中に入れてみてね(笑)
アセビがいっぱい咲いていた。
アセビは漢字で「馬酔木」と書く。
馬が食べて酔ったようにフラついたことから名づけられた。
人間が食べても毒なので注意。
庭の隅々まで制限なく歩ける庭園は今までで初めて。
タイトルにも書いたんだけど「触れることのできる庭園」なのだ。
大満足。
当時いかにして水をくみ上げていたかは不明なのだとか。
わが香川県が誇る栗林公園もそうなんだけど、背景がビルというところが残念。
京都の桂離宮は背景まで意識しているからね。
庭園自体は非常に美しいし、何回も言うけど隅々まで歩くことができていい。
枯山水とは水を使用せずに山水を表現することだけど、それに加えて築山泉水庭も混在しているわけだ。
これもユニーク。
池の名前は「心字池(しんじいけ)」。
分岐があってワクワク。
石がとても美しく配置されている。
珪化木(けいかぼく:木の化石)も多数置かれていた。
どこを見ても絵になる~
儒教方式の藩主墓所「万年山」と連動し、安永9年(1780)に設けられた先祖の祀堂があった場所。
以前はここに梅見茶屋があったそうだ。
写真はその茶屋にあった蹲居(つくばい)だね。
そういえば以前蜂須賀家の墓所近くを歩いて立ち寄らなかったんだった(笑)
眉山の湧水群を巡ろうと歩いていた時、記事にしなかった(苦笑)
次回湧水群巡り再開時、蜂須賀家のお墓もお参りしたい。
枯山水だったり・・・
築山泉水庭だったり、侘び寂びを感じる。
この心字池にかかる橋に名前はないようだ。
庭の中を回って戻って来た。
徳島県はお気に入りの遊び場だけど、さらに好きになったよ。
ぜひ訪れていただきたいスポットだ。