悲劇すぎる・・・志度寺「海女の墓」と真珠島
さぬき市志度の真珠島
さぬき市志度には、「真珠島」と呼ばれる場所がある。
島ではないんだよ。
Googleマップで見ると、埋め立てられた場所に、周囲を水で囲まれた土地がある。
とても違和感のある場所になっているんだ。
真珠島の説明
真珠島西国三十三観音
観音さまは無限の愛と尽きるところのない守護力をもって衆生の諸悪業の代苦者となり、あらゆる危難を救ってくださる菩薩である。
この三十三観音は明治のころ通称志度寺山 (現文理大付近)周辺に安置され、里人たちの信仰の対象となっていた。昭和46年、志度湾埋立事業でこの山が採土地となったため、石仏もしばらく散逸していた。
このたび滅失していた七体を善意の人たちの寄付で復元、これを機会に真珠島周辺に移し、巡拝道を造り、多くの人が参詣しやすい ようにしたものである。
昭和五十九年十月
さぬき観光協会
真珠島
志度寺縁起海女の玉取り物語のヒロイン海女が、唐から送られた面光不背(めんこうふはい)の玉を竜神から奪い返したという伝説と歴史の島である。
元和3年(1617)国主生駒正俊は「真珠島は、弁財天・吉祥天を安置しあり、もっとも崇敬仕るべき事」と記した定め書を下し、また江戸時代には藩主自ら幕府の巡検使をこの島に案内した。
大正の初め南部が陸続きとなり、戦前には海水浴場として賑わった。戦後東側に養魚場が造られ、昭和49年の志度湾埋立工事で完全に陸化した。西側には少しの渚を残し、昔の島の面影をとどめている。
平成2年2月
さぬき市
さぬき市観光協会
そういえば、志度寺に「海女の墓」があるね。
後で行ってみよう。
真珠島外周
外周をまわっていて気が付いたけど、西側に駐車場があるよ。
歩いていると島だったことが分かる。
あ、でも廃れている。
島だったんだなと思いながら外周を歩くとなかなか興味深く散策できたよ。
さて登ってみようか。
山頂の弁財天
山頂といってもこの石段を登りきるだけ。
石段自体は新しいのかな。
神社は立ち入り禁止。
さて、志度寺に行ってみよう。
志度寺
志度寺は何回もお邪魔させていただいている。
海女の墓
さっそく海女の墓へ。
海女の墓
天武の昔、淡海公藤原不比等は、唐の高宗妃から送られた面向不背の玉が、志度沖で竜神に奪われたため、身分をかくして都から志度の浦を訪れ、純情可憐の海女と恋仲になり、一子房前が生れた。淡海公から事情を明かされた海女は、瀬戸の海にもぐり竜神とたたかい玉を取り返したが、竜神のため傷つき真珠島で命を果てた。
後年大臣となった房前は僧行基を連れて志度を訪れ、千基の石塔を建てて母の冥福を祈ったという、殉愛悲恋のヒロイン海女の墓である。かたわらに五輪の塔と経塚がある。毎年旧暦六月十六日には、大法会が行われ、十六度市が立ち、千三百余年の昔をしのぶ、供養がいまなお続けられている。
さぬき市文化財保護協会
・・・ひどい話だな。
要するにまず人質をつくり、そして人質をたてに竜神と闘わせる。
恐ろしい話・・・
それよりも海女の冥福をとりあえず祈りたい。
でも息子さんの房前さん、大臣になれて良かった。
それを願って海女さんは不比等さんの言うことを聞いたんだ。
房前さん、729年「長屋王の変」でさらに昇進。
藤原北家の祖となりのちに繁栄。
お母さんの海女(しかしお名前はないのかな?あきらかに職名だよねこれ)さんは喜ばれていることだろう。
さて、志度寺って見どころ満載だから少し気持ちを癒して帰ろう。
志度寺は文化財の宝庫なんだよね。
志度寺散策
志度寺の花
志度寺は植物園でもある。
特に夏はいっぱい花が咲いているんだよね。
住職さんがお好きなんだろうね。
季節ごとに訪れると楽しい。
庭園「無染庭」
志度寺庭園
この庭園は今から500年前文明5年頃細川氏一派によって作庭された曲水式地割の古い形式を備えた廻遊式池水庭園でありましたが、昭和36年京都林泉協会会長重森三玲先生の指導により復元され室町初期の石組を参考にし乍(なが)ら新しい現代感覚を盛込んだ庭園であります。
志度町観光協会
ちなみに現在は「志度町」から「志度」になっている。
また志度町観光協会も存在しない。
ここは青々とした、晴れた夏に来たいところだけど、私は曇りの冬に来るのもおすすめだと思っている。
もう一つ庭があるからそこにも行く。
お辻の井戸
と、その前に。
お辻の井戸
歌舞伎や浄瑠璃で、仇討ちの演題として知られる「花上野誉石碑志度寺段(はなうえのほまれのいしぶみしどでらのだん)」の田宮坊太郎(たみやぼうたろう)の乳母お辻が、坊太郎の仇討ち成就を願掛けして水垢離(みずごり)をとったと伝わる井戸。
田宮坊太郎の父田宮源八(たみやげんはち)は文武の道にすぐれ人格者であったので讃岐丸亀藩に新たに召抱えられた。源八の信望が高まるのをねたんだ武芸指南役の堀口源左衛門は、源八をだまし討ちにした。
坊太郎に堀口の手が伸びかけたことを知った乳母のお辻は、ひそかに坊太郎を連れて志度寺にのがれ、坊太郎の仇討成就を祈願して火の物をたって水垢離(みずごり)をとり、満願の日に自害し果てたゆかりの井戸である。
成人した坊太郎は、江戸に出て柳生道場で剣術の修行に励み、道場きっての剣客となり、十八歳になって丸亀に帰り、藩主の許可を受け、寛永十九年 (1642年)3月19日、父源八の17回忌に丸亀山北八幡宮で本懐を遂げた。
その後坊太郎は仏門に入り、父とお辻の冥福を祈りつつ22歳でこの世を去った。さぬき市
さぬき市観光協会
水垢離(みずごり)とは水を浴びて願掛けすることね。
海女と違って「乳母のお辻」と名前があるね・・・
悲劇だわ、癒されに来たけど余計にへこんだ(笑)
でも沈んだ気持ちは無理やり上げるよりいいかもね。
庭園「曲水庭」
こちらの庭園もなかなか。
まとめ
悲劇すぎる・・・
さぬき市志度の「真珠島」が気になって行ってみると、ここまで話が発展。
しかし歴史が明らかになって、海女の名前が今後表記されるようになることを祈る。
また、志度を通るときは海女、お辻、坊太郎・源八親子の冥福を祈るよ。
そして真珠島が今後も忘れられないように願う。
※2023年4月追記。
境内はやはり植物園(^^♪
葉っぱの裏が緑だとセイヨウシャクナゲ、茶色だとニホンシャクナゲ。
これはニホンシャクナゲね。
▼真珠島
【住所】香川県さぬき市志度1298
▼志度寺
【電話】087-894-0086
【住所】香川県さぬき市志度1102