高松市塩江町にある萩寺「最明寺」のハギ
高松市塩江町にある最明寺は萩寺といわれている。
秋の七草であるハギが咲き誇っているお寺なんだよ。
見頃のニュースを2週間前に見ていたので、咲いていないかなと思いつつも行ってみた。
駐車場のハギを見るとやはり見頃は終わっていると思いつつ、少しは咲いていたよ。
静かな山間、煙が出ている。
のどかな雰囲気だね。
株によってはいっぱい花をつけている。
さて、最明寺に行こう。
駐車場から約100m、ここもハギが並んでいる。
▼フウセントウワタの花が咲いていたよ。
▼フウセントウワタと聞くとこちらの風船を見慣れているから、花は珍しいね。
種はケセランパサランのようなんだよね。
▼以前私のもとに舞い降りた。
人に見せると幸せは逃げてしまう。
皆様と幸せを共有しよう。
ハギがいっぱい咲いているように頑張って撮ってみた(笑)
▼門の前、ハギはもう咲いていない・・・
咲いているハギを見るとテンションアップ。
咲いていないって思っていたから余計に嬉しい(^^♪
門から入ると、右側が「南の庭」、左が本堂への道になっている。
まず南の庭から行ってみよう。
福寿山来迎院最明寺由来
当山は文武天皇の大宝元年に行基菩薩が鎮守の神託をうけて薬師如来を彫刻した伽藍を建立して福寿山如意輪寺とした。
その後嵯峨天皇の弘仁12年に弘法大師が熊野三社大権現の誓によって白檀木(ビャクダン)の千手観音を彫刻し安置し奉ったこの時大師は阿弥陀如来の来迎の霊感があり来迎院と号す。
亀山天皇の文応元年に北条時頼公の諸国行脚の途中当山に立寄り一国一跡の伽藍を建立し鎌倉の祈願所と定めて最明寺と改めた。
天正13年に土佐長宗我部元親の軍勢兵火によって伽藍六僧房末寺ヶ院悉く(※1ことごとく)焼失する。伽藍復興のため当地に移り、二度の火災により現在に至る。
境内の萩は、当山第41世明圓代(普山当初)壹株の宮城野萩の美しさに心をひかれ秋の先駆花、萩の名所としての基礎を築き第42世明澄代に増殖に努力をして「東の萩寺」と愛称※2されるようになった。
9月初旬の開花には文人茶俳人等多くの人々の招来して萩の優美さに俗界を離脱して一時の清浄心を感じさせられる花である。
※1漢字の下が「女」だけど、「心」の「悉く」(ことごとく)ではないかと。
※2「禾」に「再」の漢字は「称」の旧字体
~途中省略~
昭和61年4月長尾町多和大工棟梁藤岡政徳棟梁により江戸時代以前に建立されたと思われる四国霊場第81番白峯寺護摩堂を観音堂として復元した。
合掌
弘法大師空海さんも関係されているお寺なんだ。
さてまずは南の庭から。
とにかくハギ。
道がハギで塞がれている。
かき分けて進む。
あ、ツユクサさんこんにちは。
これだけでも一生分のハギを見た気がするよ(笑)
本堂を目指してみよう。
見頃なら圧巻の景色だろうね。
これだけでもすごい。
すべての道の両サイドはハギ。
すぐ上に「修業の滝」と「落ちない御石」があるので見に行ってみよう。
滝は枯れていた。
左上の大きな石が「落ちない御石」だよ。
落ちない御石
滝壺より見上げると、「落ちない御石」があります。
その昔、この滝は修行僧の行場とされていました。滝の上に鎮座している御石には修行僧が刻したとされる不動明王の梵字が刻まれており、「拝み石」と称して信仰の対象とされてきました。
先々代の時代、落ちるか落ちないかの一大事に悩んでいた壇信徒の方に、妙英尼が「落ちない御石」を示し、無心に手を合わせることを勧めました。
その言葉に従い無心に手を合わせては努力を続けた壇信徒の方は、その後見事に思いを成し遂げ、願いを達成することができたと伝えられています。
以後、「落ちない御石」のご加護に授かろうと人知れず静かに手を合わせる信者の姿は続いています。「手を合わせると落ちない、達成できる」と合格祈願はもとより、勝運・家内安全・身体健康・商売繁盛などのご利益があるとされています。
今後も多くの参拝者に「落ちない御石」のお力をご拝愛いただきたいと願います。合掌
望遠レンズを持って来なかったので、分かりにくいけど、下から見ると石に梵字が刻まれているのを確認できる。
そして珍しい花が咲いていたよ。
見頃を過ぎたハギも楽しむことができたし、フウセントウワタの花、シュウカイドウ、ミズヒキさんにも出逢うことができてとても楽しかった。
あ、「落ちない御石」に願い事するのを忘れた・・・
来年は見頃に来ていっぱい願い事をさせていただこう。
▼散ったハギの花びらも風情がある。
見頃でなくとも、是非訪れてみてね。