高松市牟礼町「六萬寺」は蝶の寺
高松市牟礼町にある「六萬寺」に行ってきた。
六萬寺
寺記によれば、天平年間、全国に伝染病が流行し、多数の死者を出したので、聖武天皇は、行基菩薩に命じてこの地に一寺を建立し、お祈りさせたところ忽ち伝染病は消滅したという。
その後有志により六万躯の小仏像を安置して六万寺と称したと伝えられています。また牟礼、大町附近に42の支院を持ち寿永二年源平合戦の時、安徳天皇の行在所となった由緒ある寺であるといわれています。
しかし中世兵火のため焼失したがその後復興された。
現在の建物は、延宝六年再興されたものであるといわれています。
高松市教育委員会
文体の統一がないのが気になったけど、寺記と教育委員会の記録で文体をかえているのかな?
六萬寺縁起
六萬寺の成り立ち
天平2年(730年) 聖武天皇が讃岐の国主高晴公に新たな領地 六万戸を下賜された。これを喜んだ高晴公が国の豊穣を祈るためこの地に寺院を建立し、聖武天皇より「国豊寺」の寺号と勅額を賜った。その後、四十年ほど経った宝亀年間(770~780年頃) に国内で流行した疫病を治めるため当山で一大祈祷会を修したところ、疫病はたちどころに治まった。そこで高晴公が、領民に一戸につき一躰の小仏像を奉納せしめたため「六萬寺」と呼ばれるようになった。その霊験あって以来、多くの信心を集め平安時代には七堂伽藍を備えた壮麗な寺院になった。
源平合戦時代の六萬寺
寿永2年(1183年) 9月、源平合戦のさなか安徳天皇が屋島に御遷幸なされた時、御殿の築造が間に合わず、安徳天皇と一門は三種の神器と共に翌年まで御行在所(仮御所)として当山にお留まりになられた。その折、この地に千年以上続く神事である子供神相撲をお見せして幼帝をお慰めしたと伝わっている。
伽藍焼失〜現在の六萬寺
天正11年(1583年) 土佐国主の長宗我部元親が当山に参り、寺の由来や平家や源氏が寄進した品々を見て感動し、この寺を大切にするようにと将士の者に言い聞かせ翌日出発した。ところがその直後、元親の家臣の桑名太郎左衛門という者の失火により伽藍のほとんどが焼け失せてしまった。唯一焼失を免れた鎮守・勝軍地蔵愛宕大権現の旧址に、延宝7年(1679年)5月、初代高松藩主松平賴重公の帰依によって建てられたのが現在の本堂である。
長宗我部さん、ここを大切にするようにしたんだ。
香川県で壊すことばかりしていたと思っていたけど珍しい。
コガネノウゼン、珍しい花が咲いている。
縁起がいい(^^♪
お金持ちになる前触れか。
いろんな花が咲いて楽しいお寺。
さて、六萬寺さんは2018年から、平家の家紋であるアゲハチョウを地元の子供たちと一緒に育てているんだって。
蝶の寺として知られるようになっている。
しかしアゲハチョウが見当たらない・・・
時期が少し遅かったみたいだ(^^♪
秋にまた来よう。
周辺を散策していると・・・
クロアゲハさんが近づいては離れる、を繰り返した。
2匹で戯れる。
風も強くなかなか難しい・・・
アゲハチョウもいたんだけど撮影できず。
しかしチョウって可愛い!
アゲハチョウを救出した時のことを思い出した。
アゲハチョウの写真、この記事のサムネイルに使用させていただこう。
(あの子の子孫は反映しているかなぁ)
さて、秋に出直すよ(^^♪
【電話】087-845-7233
【住所】香川県高松市牟礼町牟礼1450 六万寺