讃岐国分寺と国分尼寺は四国八十八箇所霊場の第八十番札所「國分寺」と法華寺

讃岐国分寺と国分尼寺は四国八十八箇所霊場の第八十番札所「國分寺」と法華寺

聖武天皇は奈良時代、仏教により国を治めようとした。
日本の各国に1つの国分寺(こくぶんじ)と1つの国分尼寺(こくぶにじ)を建てさせた。

四国八十八箇所霊場の第八十番札所として有名な「國分寺」は、741年に聖武天皇の命によりできた「讃岐国分寺」だった。

国分尼寺は少し離れた現在の法華寺にあったんだ。

その2つのお寺をレポートするよ。

昔あったお寺を「讃岐国分寺」、現在のお寺を國分寺と表記する。

讃岐国分寺(現國分寺)

國分寺境内

國分寺の境内は国の特別史跡に指定されている。

讃岐国分寺説明
讃岐国分寺説明

741年(天平13)年、聖武天皇の国分寺造営の詔によって、讃岐国にも国分寺と尼寺が建立されました。讃岐国分寺は四国八十番札所白牛山国分寺としてその法燈を伝えており、境内には往時の金堂、塔の磁石がほぼ原位置で残っています。
四国唯一の特別史跡として保存・整備し、歴史的環境と調和した町づくりを目指して、昭和58年度から発掘調査に着手しました。あしかけ9年におよぶ調査の結果、築地堀跡、鐘楼跡、僧房跡、掘立柱建物跡などの多くの建物跡が確認され、往時の讃岐国分寺が姿を現しました。これらの遺構は体験学習ができるように復元表示を行い、特に、僧房跡は発掘した遺構とその一部を復元した建物を一度に見学することができます。
また、かつての伽藍の東側には讃岐国分寺跡資料館があり、讃岐国分寺跡から出土した土器や瓦を展示しており、金堂跡の復元模型や解説パネルによって往時の讃岐国分寺について知ることができます。

東西220m、南北240mのとても大きなお寺だったんだ。

いざ讃岐国分寺南大門のあった南側から。

讃岐国分寺

國分寺はさぬき七福神でもある。
(國分寺、滝宮天満宮、香西寺、田村神社、法然寺、與田寺、白鳥神社)

讃岐国分寺中門跡(現仁王門)
中門跡(現仁王門)

中に入ると広~い。

讃岐国分寺境内

讃岐国分寺梵鐘
梵鐘(ぼんしょう)

この鐘は、生駒一正さん(親正さんの息子さん)が高松城に持って行ったことがあるんだよ。

鐘は鳴らなくなったし、怪奇現象や疫病が流行り出した。

一正さんも病気になってしまい、夢に毎晩鐘が出てきて国分寺に戻りたいと言ったそうだ。

讃岐国分寺梵鐘の歌

「かねがものいうた國分のかねが元の國分へいぬ(帰る)というたと云うかねです」

ここに戻ることができて良かったね(^^♪

讃岐国分寺現本堂(講堂跡)
講堂跡(現本堂)

本堂は明治37年国宝になったんだけど、現在は国宝ではなく国の重要文化財となっている。

境内は現在の四国八十八箇所霊場の第八十番札所の機能を果たしているから、國分寺の施設はこれくらい。
(大師堂はリニューアル中)

境内には他に金堂跡、塔跡、回廊跡などがある。

塔はもうないんだけど七重塔で、東洋一の高さのある京都東寺の五重塔より大規模なものだったのだとか。

以下から國分寺境内の外側を散策するよ。

伽藍配置模型

讃岐国分寺伽藍配置模型

讃岐国分寺の模型(縮尺1/10)が飾られている。

築地塀(ついじべい)

築地は讃岐国分寺の壁で、一部が復元されている。

讃岐国分寺築地塀
東側

これが東西220m、南北240mを囲っていたんだね。

讃岐国分寺築地塀西側
西側

塀の外はさらに堀で囲まれていたんだって~

鐘楼跡(しょうろうあと)

讃岐国分寺鐘楼跡

ここに讃岐国分寺の鐘があったんだ。

僧房跡

讃岐国分寺僧房跡

建物は復元展示。

▼手前は僧房跡。

讃岐国分寺僧房跡2

讃岐国分寺僧房跡復元展示1
復元展示

セルフで電気を点けるシステム。

讃岐国分寺僧房跡復元展示2

お坊さんのマネキンにビックリ。

讃岐国分寺僧房跡復元展示3

国分寺の僧は国家試験に合格された方。

彼らの生活を垣間見ることができる。

掘立柱(ほったてばしら)建物跡

讃岐国分寺掘立柱建物跡

全国的に見ても、国分寺内にこのようなつくりの建物は例を見ない。
使用目的がまだ分かっていないんだって。

讃岐国分寺掘立柱建物跡2

讃岐国分寺跡資料館

國分寺の少し東(徒歩3分)に讃岐国分寺跡資料館があるよ。

讃岐国分寺跡資料館

讃岐国分寺から出土したもの、講堂の模型など國分寺のことが学習できるようになっている。

讃岐国分尼寺(現法華寺)

讃岐国分寺から北東に2km離れた場所に讃岐国分尼寺だった法華寺がある。

法華寺

法華寺境内

ここは国の史跡に指定されている。

平安時代、菅原道真さんが法華寺白牡丹の詩を詠んだことは有名なお話。

法華寺は春になると牡丹がいっぱい咲くんだって(^^♪

また見に来ないとね。

法華寺白牡丹の詩2

【原文】
法華寺白牡丹
色即為貞白
名猶喚牡丹
嫌随凡草種
好向法華看
在地軽雲縮
非時小雪寒
繞叢作何念
清浄写心肝

【書き下し文】
色は即(すなわ)ち貞白(ていはく)たり
名はなほし牡丹と喚(よ)ぶ
凡草(ぼんそう)に随(したが)ひて種(う)えられんことを嫌う
法華に向なんとし看ること好(このま)し
地(ところ)に在りては軽き雲縮(ちぢま)る
時非(な)らずして小(すこ)しき雪寒いたり
叢(くさむら)を繞(めぐ)りて何の念(ねが)ひをかなす
清浄なるに心肝(しんかん)を写(そそ)かむ

【訳】
牡丹の色は貞節を表すような真白である。しかし名はなお牡丹と呼んで丹(あか)という名がついている。この牡丹は平凡な草花の仲間に属するのを嫌って、好んで仏法の花という名のついたこの法華寺で咲いている。この牡丹は地上にあって、ちょうど白い軽雲が縮く(まっすぐ)になびいているように白く咲いており、また雪の降る時節でもないのに、寒々と小雪が降ったよう白く咲いている。この牡丹は庭をめぐり、むらがって咲いていて、いったいどんなことを思っているのだろうか。ただその白い清浄な姿は見る人の心まで洗いすすいで清めてくれるようである。

全国の国分寺も国分尼寺も、平城京から平安京に遷都したことにより国の庇護を受けられず荒廃していくんだ。

10世紀の末にはその機能を失った。

政治的な狙いを帯びたお寺から、牡丹がきれいに咲くただのお寺になった。
そこへ菅原道真さんがやってきて詩を詠む。
いいね。

境内には優しい空気が流れている気がした。

まとめ

明治37年に国宝に指定されているけど、その後国の重要文化財に降格した理由が分からなかった。
今後調べてみよう。

でも国宝級であることには違いない。
香川県の文化財公式サイトによると、国宝「神谷神社」、国宝「本山寺」の次に掲載されているからね。

國分寺の前はよく通っているけど、じっくりと訪れたのは初めてかもしれない。

すごく価値の高い史跡だということを再確認したのであった。

新型コロナウイルスの影響で旅行ができないんだけど、ものすごく旅行気分を味わうことができた。

境内や周辺は説明書きがいっぱいあって、歴史マニアの方は半日以上過ごすことができるかな。

県外の方もそうだけど、香川県の方々におすすめする観光スポットだよ。

また時間があれば國分寺を訪れたい。