本当の高松城は高松町「喜岡寺」にあった。

高松市高松町に真言宗のお寺「喜岡寺」がある。

現高松城は、高松市玉藻町にある「玉藻公園」内にあるんだけど、元々の高松城はこの喜岡寺がある場所にあった。

▼喜岡寺
喜岡寺

この門の横に「高松城址」の標記がある。

喜岡寺の高松城址

高松市という地名の由来となった城なんだよ。

キキョウの紋

寺紋はキキョウ。

喜岡寺境内

境内にキキョウが咲いていた。

喜岡寺のキキョウ

▼サルスベリ
喜岡寺のサルスベリ

▼ヤナギバルイラソウ
喜岡寺のヤナギバルイラソウ

▼カリン
喜岡寺のカリン

喜岡寺境内2

庭園も美しい。

喜岡寺庭園

境内を出て西側に移動すると神社や公園がある。

喜岡寺の公園

喜岡寺の神社

喜岡寺の神社2

高松城址の説明書きがあったよ。

高松城址説明

高松城址(喜岡)
鎌倉時代の末期、建武の中興の功臣舟木(高松)頼重が讃岐守護職としてこの地に城をかまえていましたが、建武2年(1335)11月26日、足利尊氏の臣、細川定禅らの軍勢に攻められ、老父一族14人と郎党30余人討死し、落城しました。
その後、ここ高松城にて高松庄を領した高松左馬助頼邑は、天正13年(1585)4月26日、秀吉の四国征伐の一隊(宇喜多秀家ら七将の兵)約23000の攻撃をうけ、手兵100余人と、香西氏派遣の唐人弾正、片山志摩の率いる兵。合わせてわずか200をもって勇敢に戦いましたが衆寡敵しがたく(※1)城兵ひとり残らず討死しました。
高松町長塚は、当時激戦のあった場所で全将兵を葬ったところと伝えられています。
高松頼邑、唐人弾正、片山志摩の墓は、喜岡寺境内にあります。
高松市

※1「衆寡敵(しゅうかてき)しがたく」とは「少数では多数にかなわない」という意味。

1590年、生駒親正さんが現在の玉藻公園に高松城を移す。
旧高松城周辺の地名が「古高松(ふるたかまつ)」となった。

高松市民、香川県人としては知っておかなければならない非常に重要な情報だね(^^♪

長宗我部元親さんと、織田信長さんや豊臣秀吉さんのケンカの舞台となった地。

残暑厳しい中、歴史の勉強をしたよ。
香川県もなかなか奥が深いなと、胸がさらに熱くなるのであった。

▼十河城のことを学んだ時に「喜岡寺」のことを知ったので来てみたんだよ(^^♪

喜岡寺の場所
【住所】:香川県高松市高松町1727
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