豊臣秀吉や徳川家康も入場した伏見城
京都市伏見区「伏見桃山城運動公園」には伏見桃山城がある。
といっても昭和39年に遊園地のシンボルとして建てられたもの。
伏見桃山城運動公園
「伏見桃山城運動公園」は、「伏見桃山城キャッスルランド」(平成15年1月閉園)の跡地を活用して、市民の皆様がスポーツに気軽に親しめ、また、憩いの場ともなる運動公園として、平成19年4月に開設されました。
公園内のお城は、伏見桃山城キャッスルランドの目玉施設として昭和39年に建設されたものです。遊園地の閉園後は伏見のシンボルとして運動公園に引き継がれ、現在では映画やドラマの撮影などにも活用されています。
1964年にできた遊園地とはまた歴史が深い。
その時に現在の伏見桃山城が建てられたわけだね。
もともと伏見城は1500年代、豊臣秀吉さんが隠居後の住まいとするために建てられた。
当時は指月という地名にあり「指月伏見城」と後に呼ばれる。
豊臣秀吉さんは指月伏見城で隠居後に、伊達政宗さんとの対面、徳川家康さん・前田利家さんとの茶会を行った。
指月伏見城は1596年の慶長伏見地震で倒壊し、現在の伏見桃山城がある場所に再建される。
1598年、豊臣秀吉さんは伏見城内で亡くなり、その後徳川家康さんが入城し政務をとることになる。
関ケ原の戦いで徳川家康さんが不在の時、石田三成さん派の西軍に攻められて落城した。
この時、伏見城を死守していた家臣たちが切腹をしたわけなんだけど、その時の血痕がついた床を天井としたのが京都東山にある養源院。
1602年に徳川家康さんは伏見城を再建したんだけど、1619年に廃城となる。
桃の木が植えられていることから「伏見桃山城」と呼ばれるようになった。
現在の伏見城は完全なレプリカではあるのだけれど、実際に徳川家康さんがここにいたということはとても価値のある場所だよね。
いざ入城。
東映の映画「茶々 天涯の貴妃」の舞台となり、一部改修を行った。
現在は耐震基準に満たないようで、近づくことができないようになっている。
天守閣を見ながら少し散策。
晩御飯までの散歩と思って来たんだけど、近鉄京都線の桃山御陵前から坂道で大変だった。
でも来た価値があったね。
晩御飯を食べに行こう。
坂道を下って戻るよ。
ピンズレだ・・・
カラスがいっぱい飛んでいた。
ハボタンが可愛く咲いていたね。
坂道は高級住宅が立ち並びいい暮らしがうかがえた。
伏見はお酒のおいしいスポット。
前回訪れた時は利き酒のできるお店はすべて休業していた。
今回の旅行は伏見のお酒を飲むためのリベンジ。
とても楽しみだ。