鳴門市「潮明寺」のフジバカマにとまるアサギマダラ

徳島県鳴門市にある潮明寺(ちょうめいじ)は、紀貫之の遺跡があるお寺。

この潮明寺にたくさん咲いているフジバカマに、アサギマダラという蝶が飛来しているという。

潮明寺の門

▼トレニアさんがお出迎え。

潮明寺に咲くトレニア

紀貫之さんの遺跡はどこかな?アサギマダラは?

潮明寺のフジバカマにとまるアサギマダラ1

お、弱々しく飛んでいるのは長距離飛行の疲れかな。
フジバカマにとまっているアサギマダラさん、かなり美しい。

元気に優雅に飛んでいる個体もいる。

潮明寺のフジバカマにとまるアサギマダラ3

よく見ると羽がボロボロ。

潮明寺のフジバカマにとまるアサギマダラ2

これからまた長旅になるようだけど、想いを遂げて欲しい。

渡りの距離は2500km。
日本と台湾や沖縄間などを渡り、現地で生まれた子供が親とは逆の行程をたどる。

どちらに住んでも問題ないなら、そんなに命をかけなくても、と思ってしまうのだけど・・・

しかし、そんなアサギマダラも習性を知らずとも飛んでいる姿は本当に美しい。

さて、紀貫之さんの遺跡。

紀貫之遺跡

紀貫之の遺跡説明

土佐泊(とさどまり)は、古くから京都と土佐を結ぶ海上交通の要所で、行き帰りの船が寄港していたことから、その名が起こったとされている。
「古今和歌集」の撰者の一人で、三十六歌仙の一人でもある紀貫之は、平安時代の延長8(930)年から承平5(935)年にかけて土佐の国司として赴任していた。
貫之は国司の任を終え、今日に帰る道中の55日間を日記風につづった「土佐日記」を著している。この中に、承平5(935)年、阿波の土佐泊に立ち寄ったことが記されている。
貫之はここで

「年ごろを すみし所の名にしおへば 来よる浪をもあはれとぞ見る」

との歌を残している。
幕末の慶応3(1867)年に、この歌を刻んだ歌碑が土佐泊の渡船場付近に建てられ、その後、潮明寺境内に移転したが傷みがひどくなり、昭和44年に現在のものに建て替えられた。また、この歌碑とは別に享和年間(1801~1804)に、黒崎の俳人虎風らによって建てられた歌碑が残っている。
この碑がある背後の山は「土佐泊城跡」(市指定史跡)で、古城と新城の二つからなる。古城は標高51.2m、新城は標高80.4mである。北および北東斜面は急傾斜となっており、南および西は海に面している。特に西側は小鳴門海峡に面した良港を持ち、いわゆる海賊城の姿をしている。
戦国時代の土佐泊城には、森筑後守元村・志摩守村春の親子が居城していた事が知られている。天正10(1582)年に土佐の長曾我部元親が阿波を制圧したときも、森氏は元親に服従せず、天正13(1585)年、豊臣秀吉による四国征伐の際には、阿波進攻の先導をしたと伝えられている。その後、森氏は阿波に入部した蜂須賀氏に帰順して椿泊(阿南市)へ移り、その子孫は阿波水軍の総大将になった。
このように、土佐泊は、海との深い関わりの中で、いにしえの人々が生きた世の移り変わりを物語る史跡が残る地として重要である。

歌碑は見えにくいけど「紀貫之」は読むことができた。

紀貫之歌碑

歌碑の前にホトトギスが咲いていたよ。

紀貫之の遺跡前に咲くホトトギス

珍しくて美しい蝶に出会い、歴史の勉強ができたのであった。
潮明寺、静かで良い所だ。

ウチノ海総合公園でもフジバカマにとまるアサギマダラを見たよ。