新潟県「アオーレ長岡」が美しすぎた
新潟県長岡市に仕事でお邪魔した。
長岡駅や、市役所・アリーナ・ホールなどの集合スペース「アオーレ長岡」周辺を夜に散歩をしてきた。
長岡の花火の写真をホテルでたくさん見た。
かなり美しい。
▼公式サイト抜粋
今から73年前の昭和20年8月1日。
その夜、闇の空におびただしい数の黒い影―B29大型爆撃機が来襲し、午後10時30分から1時間40分もの間にわたって市街地を爆撃。
旧市街地の8割が焼け野原と変貌し、燃え盛る炎の中に1,486名の尊い命が失われました。見渡す限りが悪夢のような惨状。
言い尽くしがたい悲しみと憤りに打ち震える人々。
そんな折、空襲から1年後の21年8月1日に開催されたのが、長岡まつりの前身である「長岡復興祭」です。
この祭によって長岡市民は心を慰められ、励まされ、固く手を取り合いながら、不撓不屈の精神でまちの復興に臨んだのでした。
また「長岡開府400年」という「ROOTS400」というロゴをよく見かけた。
▼公式サイト抜粋
譜代大名・牧野忠成公が長岡城主として越後長岡に入封したのは、元和4(1618)年。
この年が、藩祖・忠成公による長岡開府の年とされ、
平成30(2018)年は、長岡開府から400年の節目の年です。
歴史の深い街なんだね。
さて、歴史のお勉強の後はまず「アオーレ長岡」を散策。
▼長岡市公式サイト抜粋
「アオーレ長岡」とは
シティホールプラザ「アオーレ長岡」は、JR長岡駅前に位置し、建設地の旧厚生会館跡地は歴史的にも由緒ある場所です。かつてこの場所に城を構えていた長岡藩は、領主と領民の垣根が低く、両者が一体となって藩を盛り立てていました。いわば、「市民協働」の先駆けともいえる長岡藩の精神は、河井継之助の藩政改革、小林虎三郎の米百俵の精神などに連綿と受け継がれ、現在も続いています。シティホールプラザ「アオーレ長岡」は、この精神を建物全体で表現した現在のシンボルとなる施設であり、設計は、日本を代表する建築家“隈研吾さん”によるものです。
コンセプトは、生活の温もりと人々のにぎわいにあふれた
「まちの“中土間(ナカドマ)”」。あらゆる世代の多様で自発的な活動を実現する場として、また、市民活動の「ハレの場」として、誰もが憩い集う『市民交流の拠点』です。
ナカドマをはじめ、アオーレ長岡の施設は、皆さんの自由なアイデアで使い方が無限に膨らみます。また、身近な手続きを集約した市役所の総合窓口を1階に集約し、日本一のサービスを目指します。
新たに配置する市役所コンシェルジュは市民のさまざまな声に応えます。
――人が出会い、交流が生まれ、絆が深まる場。
新しい長岡の顔、協働と交流の拠点・アオーレ長岡。――
JR長岡駅と大手スカイデッキで直結した“にぎわいの新空間”を、ぜひ、ご活用ください。
建築家、隈研吾さんデザインのアオーレ長岡は美しすぎた。
夜でも人がさまざまなスペースを活用していて、ゆったりとした時間が流れている。
ここでイベントが行われるとすべてが絵になるだろうね。
中土間をイメージして作られた施設はガラスと簀子(すのこ)?でリフレクションもキマリすぎ!
さらに雨上がりってのもいい。
こんな場所が近くにあれば毎日ベンチで本を読みにくるね~
もはやリフレクションしているのかしていないのか判別不能。
若者がディベートをしていた。
交流の場として夜も開かれている。
とにかくどこをどう撮っても楽しい場所。
天井もスノコ~
もうリフレクションがリフレクションしてるやんけ~
ひっきりなしに人が通る。
市民に愛されている施設だね。
そして市民の方にも楽しんでもらいたいという心意気が見える。
ガードマンさんもしっかりお仕事。
治安も守られている。
こんな美しい公共の施設があるなんて、長岡市の方々がうらやましい。
仕事で来ているので昼間の見学はできないんだけど、次回はゆっくりのんびり観光に来たいな~