雨滝城址から見た瀬戸内海
さぬき市大川町にある雨滝城址に行ってきた。
香川県に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)さんが攻めてきた史実を勉強をしていたころがあった。
久しぶりに再開。
雨滝城は十河城の支城だった。
さて、雨滝城址へ行くには雨滝自然科学館を目指すといいよ。
国道11号線から津田の松原から南に向かい、雨滝自然科学館を通り過ぎると登山口まで行くことができる。
▼自動車はここまで。
ここから登山道。
雨滝城址まで300m。
急な所もあるけど15分くらい。
お、剣士が修業した場所?
お、この先は絶景の予感。
ぬお!朝靄でさらに美しい。
雨滝城址
所在地:大川町富田中216番地の1他
所有地:大川町他
概要:
雨滝山は大川・寒川(さんがわ)・津田三町に跨り(またがり)、海抜253m、この頂上に長禄年間(1458頃)安富山城守盛長(やすとみやましろのかみもりなが)が城を構え、依頼築後守盛正(ちくごのかみもりまさ)、筑前守盛方(ちくぜんのかみもりがた)、肥前守盛定(ひぜんのかみもりさだ)と相つぎ、天正11年(1583)長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)勢の侵攻に遭って降伏落城した。
本遺構は、瀬戸の海を扼(やく)する要所であり、天然の要害地形を巧みに取り入れて普請された典型的連郭式山城である。山頂本丸跡を中心に、東方二段・西方五段・北方五段、三方尾根上に削平地が形成されている。昭和57年本丸を含め七郭、昭和45年に西第五郭部、計八郭の発掘調査が行われた。南第二郭を除き、すべての郭に礎石が検出され、建物遺構の存在が裏づけされている。各部をつなぐ犬走り・掘り切り・土塁等の遺構も明らかとなった。出土した遺物としては、土師質(はじしつ)土器・備前焼甕、中国製陶磁器・古瓦(いずれも破片)・坩堝・鉄滓・小柄・短刀・透し彫り・鍍金金具・輸入銭(唐・北宋銭)・貝・王石・焼けた壁土等で、注目すべき山城解明に貴重な資料を得ている。
安富氏は応仁の乱に武将として出陣、乱後は西讃の細川氏とともに細川氏の目代として讃岐を二分して東讃を管轄した。平素の居館は雨滝山麓の城山、その他石田、津田側などにあったと推定されている。
平成4年3月
さぬき市教育委員会
津田の松原、ドルフィンセンターが見えるね。
さて、この学習の続きは次回昼寝城址で最後になるかな(^^♪
【住所】香川県さぬき市大川町富田中