蓮華王院「三十三間堂」の木像1032体に感動!

京都市東山区にある「三十三間堂」の正式名称は「蓮華王院本堂」である。
元は、後白河上皇の離宮内にあった仏堂なのだ。

▼三十三間堂にある「法住寺殿(ほうじゅうじとの)」説明

法住寺殿説明

文字起こししよう。

法住寺殿は、保元3年(1158)8月、その皇子・二条天皇に譲位して上皇となった後白河院が約30年にわたり院政(上皇が天皇に代わって政権運営をする特異な政治形態)を行った政庁です。上皇になると天皇の住う御所とは別に専用の”院の御所”を造営するのが通例で、先例の白河・鳥羽の両帝に続き、その度に大規模な土木工事が行われました。後白河院は上位直後に御所の造営を着手、東山の麓から西は鴨川河岸まで、南北は八条坊門小路(現・東海道路線南・大谷高校辺)から六条大路(現・六条通り)に及ぶ広大な地域で、その地名を取り「法住寺殿」と名付けたのでした。構内は政治的な施設の「北殿」と”常の御所”と呼ぶ住居に三十三間堂をはじめとする宗教的堂塔が集中した「南殿」に分かれ、東山を背にする丘陵に地中から湧き出たような大建築が甍(いらか)を並べたといいます。
永暦2年(1161)4月、月明かりの夜に、上皇はここに移り以後20年住まいとします。しかし、賑わいをみせた院の御所も、寿永2年(1183)11月、対立するようになった木曽義仲の夜襲にあい焼失しました。800年の昔に変わらぬ姿でこの場所に伝承されてきた三十三間堂は、その時代をしのぶ稀有の物証といえるでしょう。

法住寺殿址碑地図

地図の右下にあるのが蓮華王院本堂で三十三間堂のことだから、かなり広い範囲だね。

後白河上皇は養源院のお隣にある「法住寺陵」に眠る。

三十三間堂の名前の由来は、柱の間が33個あるところから。
また、観音菩薩が33種の姿に変じて衆生を救うというところからきている。

堂内は撮影禁止。
長さ120メートルの本堂の中には、「千手観音菩薩坐像」を中心に左右それぞれ約500体(1001体)の「千手観音立像」、両端に「風神・雷神」がそれぞれ1体、手前一列に「二十八部衆像」があり1032体ある。

一番大きい「千手観音菩薩坐像」は東大寺南大門金剛力士像を作った「運慶」さんの長男「湛慶」さんの作。
1032体すべてが国宝というすごすぎる空間。

三十三間堂ポスター

残念だから貼ってあったポスターを掲載しておこう。

三十三間堂のこの迫力は写真にはおさまらない。

何回でも来たいと思った。

さて、三十三間堂の周りを散歩して帰ろう。

三十三間堂外観

柱の間が33個あるのは内部の話で、外から見ると35個ある。

三十三間堂外観2

庭園もあって外部も見ごたえがあるよ。

三十三間堂の庭園

三十三間堂は1249年火災で焼失し、1266年に再興した。

三十三間堂の朱塗の回廊

焼ける前は本堂も朱塗だったんだって。

三十三間堂外観正面
外観正面

三十三間堂外壁
本堂正面から見た外壁

三十三間堂裏側

これだけ仏様がそろっていたら、1回拝むだけでご利益がすごそう(笑)

後白河上皇と院政について少し学んだんだけど、かなり奥が深く興味深い。
今後の研究課題となった。
また、次回は妙法院や法住寺も絡めて訪れたい。

超パワースポットにとても感動した。
ぜひお立ち寄りを。