塩むすびと冷酒

塩むすびと冷酒

焼き鳥屋のカウンターに座り、ビールを注文する。

10本の焼き鳥を待つ間、先に出てきたのはビールだった。

それを飲み干しても焼き鳥は来ない。

ようやく焼き鳥が届いたと思えば、今度はビールがない。

そんな、ちぐはぐな夜。

冷酒を注文して焼き鳥が無くなる。
私は「塩むすび」を注文していた。

運ばれてきたのは、具も海苔も最小限の、素っ気ないほどに凛とした塩むすび。

塩むすびと冷酒

ここで冷酒と塩むすびが重なる。
左手が5連符、右手が6連符って感じ。
それはもはやアフリカのミュージシャンしかできないよ。

さて、手元の冷酒と合わせて一口含んだとき、私は驚いた。

米の甘みと、冷酒のキリッとした清涼感が、これほどまでに合うとは。

「酒造りに不向き」という共通項

日本酒といえば凝ったつまみを想像しがちだけど、この組み合わせは、そんな定石をあっさり覆してくれた。

塩むすびという究極のシンプルさと、酒蔵で醸された日本酒。

この二つが合わさったとき、互いの余計な角が取れ、素材そのものの輪郭が際立つ。

ふと、この「米」と「酒」の組み合わせを噛みしめながら、ある杜氏の物語を思い出していた。

香川の銘酒「国重」を醸した、国重弘明氏のことだ。

彼はかつて、酒造りに適さないとされた米「オオセト」に目をつけ、10年という歳月をかけて、全国新酒鑑評会で金賞を獲る酒へと昇華させた。

思えば、私はずっとこの「不適合」という物語に惹かれていたのかもしれない。

掌(て)が記憶する熱さ

大学時代、東広島の酒蔵が並ぶ風景のなかで、日本酒という存在に気づくこともなく過ごしていたあの頃。

部活帰り、マネージャーさんが握ってくれたのは、具なしの「塩むすび」だった。

ふっくらと、というよりは、熱い飯を必死に握りしめた跡が残るような、少し硬めのおむすび。
マネージャーさんが握り終えたとき、掌はいつも赤くなっていた。

あるのは米と西条の酒だけ。
酒と米で宴会をするしかなかったんだ。

あの「熱い掌」の温度で握られた米の味が、なぜあんなに美味かったのか。

今なら少しだけ分かる気がする。

伝説の、プロローグ

完璧なレンズ描写を求めることだけが写真ではない。

目の前にある塩むすびを、かつての記憶と共に切り取ること。

そうやって、自分の記憶を一つずつ記録し直していくこと。

今はまだ、ありあわせの「塩むすび」と「冷酒」の組み合わせだ。

しかし、これからの私は違う。

国重氏が愛した「オオセト」の米を自ら握り、その杜氏の名を冠した「国重」と合わせる。

そんな実験を始めようと思う。

当時の西条の風景を素通りしていた若造が、時間をかけて、ようやくそのルーツである「米」と「酒」の黄金率に辿り着く。

P.S.え?オオセトって売っているの?