世界遺産「古都奈良の文化財」元興寺
奈良県の世界遺産巡りシリーズ第二弾。
奈良市中院町にある元興寺にお邪魔した。
ならまちを歩いていると普通にあらわれる(^^♪
地元のレポーター&芸人さんが取材に来られていたよ。
国宝「極楽堂本堂」鎌倉時代
奈良時代の元興寺三論学僧であり、浄土教学研鑽を創始した智光法師の住房と伝える東室南階大坊の一部を中心として、鎌倉時代の寛元2年(1244)に奈良時代の僧坊から切り離されて、単独の寄棟造の堂に改築されたものである。内陣には、当初の構造材を遺し用いている。また、屋根の西流れ部には当寺の前身である飛鳥寺所用の日本最古の瓦が一部、現役で葺かれている。
本尊は智光法師が感得したという阿弥陀極楽浄土の変相図であり、智光曼荼羅といわれる。住生極楽院として機能していたことからも、極楽堂とも、曼荼羅堂とも呼ばれる。
元興寺講堂跡出土礎石
奈良時代
平成10年(1998)、境内西側の中新屋町の家屋地下から出土したもので、元興寺講堂の北西庇の二間に当たる三基の礎石とみられる。礎石上面には柱座の造出がみられ、直径三尺を計る大きな柱であったことを推測させる。講堂の規模は桁行11間、当時最大のもので、本尊は1丈6尺の薬師如来坐像であったという。現状は、柱間2間分の寸法に復元している。
石材は、硬質の三笠安山岩、通称カナンボイシである。
法輪館には国宝「五十小塔」がある。
とても見応えがあることも去ることながら、重要文化財「聖徳太子立像」も眺めていると感慨深い。
インドから中国・朝鮮半島を経由して仏教が伝来し、それを広めたかった蘇我氏と、排仏を訴える物部氏が対立していた。
用明天皇2年(587年)、蘇我馬子は厩戸王(うまやどおう)(後の聖徳太子)とともに軍を起こし、排仏派の頭領であった物部守屋を打ち破る。
これでようやく日本に仏教を広めることができることになったんだ。
蘇我馬子さんは、崇峻天皇(すしゅんてんのう)が即位したのを機会に高市郡の飛鳥の地にはじめて正式の仏寺建立に着手(588年)。
そのお寺が元興寺の前身となる法興寺で、地名によっては飛鳥寺ともいわれる寺なんだ。
極楽堂には、この頃の瓦がいまだに現存して使用されている。
ものっそ貴重な国宝なんだ。
佛足石
佛足石は、釈尊の足跡で佛陀を顕す古い信仰形を示しています。
2000年ほど前のスリランカで創られた図を基に復元した今の生身佛として、日本・スリランカ友好親善の記念の2012年10月8日に造立されました。
ここから聖徳太子の活躍、仏教が始まったわけだ。
超絶エクスタシー~。
奈良県、日本の歴史を語るに避けて通れないスポットだよね。
奈良県の知人にいっぱい魅力を語りたいと思う(^^♪
・公式サイト
【電話】0742-23-1377
【住所】奈良県奈良市中院町11