松本市の花いっぱい運動
長野県松本市には「花いっぱい運動」として、街中に花が咲いている。

花いっぱい運動
花いっぱい運動は、戦後まちが荒廃し人々の心にも余裕を持てない中で、「社会を美しく・明るく・住みよくする」、また花を通じて人々の気持ちを豊かにとの願いを込め、昭和27年4月8日、当時松本市の小学校の教員だった小松一三夢先生によって始められました。
花いっぱい運動創始者、小松一三夢先生は著書「花いっぱい」(青葉書房、昭和32年)にその時のことをこう書いています。
「ある日、わたしはふと荒れ果てた町に、美しい花がいっぱいに咲いているようすをゆめにえがいてみました。わたしの住んでいる、日本アルプスのふもと、松本の街を花でうめようと考え、わたしの胸は少年のようにおどりました。『そうだ、花を街にうえることが世の中を明るくする一ばんよいことだ』と強く感じたのです」
運動を始めた頃は、一部では当時の世相から「腹いっぱいの会ではないのか」と皮肉っぽい声もあがりましたが、小松先生は根気良く市民を説き続け、花いっぱい運動が全国紙に報道されたあとは、各地から「当地でもやりたいがどうすればよいか」という問い合わせが相次ぐようになりました。
当時の「街を花いっぱいにする会」の機関紙に小松先生はこう書いています。「私たちにしたところで別に対した妙案があってこの運動を大きく育てることができたのではありません。花をいっぱい植えましよう。ゴミを方付けきれいにしましょう。と根気よくふれ回り、種をまいて歩いただけです。自分の行いを人々に伝えていきましょう」
以来この運動は、町会はじめ多くの市民有志の共感と協力のもと、全国、世界へと発展し、「花いっぱい」は今では世界の共通語となっています。
日本人は、昔から花をもっぱら個人のものとして楽しんできましたが、この美しいものを社会のものとし、花を育てることによって心の花を咲かせるといった、花いっぱい運動の心は、まちを単に花で飾るのではなく、清掃をして身近な環境をきれいにする運動、川をきれいにする運動へとつながり、そして、吸殻、ごみを散らかさない呼びかけは高校野球の場へも広がっていきました。
そして50年以上が経ち、社会を明るく美しくする願いを込めた精神運動の種は、全国の人々の心に花を咲かせています。※松本市ホームページより抜粋
私も花いっぱい運動の精神に共感する。
そして優しい心と笑顔を絶やさず生きていこうと思うのであった。
さて、草木、花をアップしていこう。






ペンタスさんはサンタンカに似ているところから和名でクササンタンカ。


















草木や花についてもっと勉強しよう。
草木や花をいっぱい見ていたら優しい気持ちになるね。