京都市指定名勝「白河院」庭園
2017年『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』において、白河院の庭園は17位だった。
2018年は29位に落ちてしまったみたい。
白河院の庭園は小川治兵衛さんの作庭で、明治・大正時代の政治家「山縣有朋」さんの別荘「無鄰菴(むりんあん)」も手掛けられたお方。
29位とはいえ、7位の無鄰菴に立ち寄る前に鑑賞してみよう。
白河院の庭園は京都市の指定名勝で、その説明書きがあった。
本庭園の周辺は、かつて白河天皇が営んだ法勝寺の境内にあたり、白河院の名勝は、それに因んで付けられたものという。
庭園と建物は、当地が下村忠兵衛の所有となった翌年の大正8年(1919)に造られた。下村家は、明治から昭和にかけて呉服業を営んでいた家柄である。昭和33年(1958)に、現所有者の前身である私立学校教職員組合の宿泊施設となり現在に至る。
庭園を手がけたのは7代目小川治兵衛(植治)である。昭和57年(1982)に洋館と和館の一部は取り壊されたが、庭園部分は殆ど改変を受けなかった。
庭園の構成には、東山への眺望を活かしつつ和館の傍にクロマツの大木を配することで、敷地に遠近感を与えるなどの工夫が凝らされている。さらに、樹木の特性を熟知した植栽の配置、琵琶湖疎水から引かれた水流の巧みな取り扱いなど、植治による円熟の技が随所に現れており、貴重なものである。
なるほどなるほど。
さらに説明書きがあったんだけど、文字起こしが大変だと思っていたら公式サイトに同様の説明文を発見したので、合成して記載する。
白河院はもと藤原良房の別荘で、北家藤原氏によって代々受け継がれてきたが、藤原師実の時、白河天皇に献上され、承保2年(1075)天皇によってこの地に法勝寺が建立された。法勝寺は、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺とともに六勝寺と総称された寺で、東は岡崎道より三百メートル東、西は岡崎道は南は現在の動物園の南、北は冷泉通より五十メートル南に囲まれた広大な寺域を有し、境内には、金堂、講堂、阿弥陀堂などの諸堂が立ち並んでいた。中でも、池の中島の八角九重塔は壮大な高塔(80メートル)であったといわれている。しかし、文治元年(1185)の大地震により九重塔以外の諸堂の大半が倒壊し、承元2年(1208)には九重塔も落雷により焼失(この時は栄西禅師が大勧進になって一部再建)。更に康永元年(1342)の火炎により残る堂舎も消失した。その後覚威和尚によって一部再建されたが衰退の一途を辿り、やがて廃寺となり、その後、大正、昭和を経て今日に至った。
80メートルの高塔ってすごい。
地震でなくなっちゃったんだけど見てみたかった。
さて入ってみよう。
入場は無料。
!!!
何と修復中!
私は修復中に出くわすことが多すぎる・・・
庭園とレトロな建物のコラボが見たかったよ。
気を取り直して庭園を見ていこう。
お手入れ中でしたか。
こじんまりとしていてあっという間にすべてまわれてしまうんだけど、庭園としてはなかなか質が高い。
建物が修復中でなければもっと良かったのに。
建物と反対側の通路を歩いてみる。
座り心地良し。
私立学校教職員組合の所有で、一般客も宿泊可能。
最後にホテルのフロントからガラス越しに撮影させていただいた。
ランキング29位と言ってしまうとイメージが先行してしまいそうだけど、私はとてもいい庭園だと感じた。
工事が済んだら宿泊して庭園を眺めながらのんびり京都のお酒を飲みたいね。
また来たい。